青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
7号系統様、曽束のバス停に関する詳しいコメント(驚きました)ありがとうございます。こういう情報が欲しかったんです!面白すぎます(^_-)

コメントだけでは画像が載せられないので、予定を変更して臨時の記事を急きょ作成させて頂きます。

今日の記事にもありますように、「きびしい隅」を作るべく???資料を整理していた時、昭和51年6月現在の京阪バスの路線図があったことを思い出して、確認しましたら、確かに、「曽束口」の次がいきなり「曽束」で、「曽束中」はありませんでした。

S51.6 石山団地~大石

初めてこの路線図を見た時は、気がつかなかったか、よくある誤植だろう、くらいに思っていたのですが、7号系統様の具体的な記述と照らし合わせ、やはり今の「曽束中」「曽束」だったことがはっきりしました。

ボンネットバスの引退については、拙稿で引用した1975(昭和50)年9月11日付の朝日新聞滋賀版などで写真付きで取り上げられていたので、誰にも知られずに廃車された他のあまたの車両のことを考えれば、破格の扱いでしょうけど、一般の利用者がどのくらい意識していたのかは、確かに微妙ですね。

その他にも、曽束系統について想い出や情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、メールやコメントを頂けると幸甚です。
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 部屋に角とか隅とかいうものがない、そこには何やら彼やら雑然と物が置かれ積まれ、植木鉢鳥かご、雑誌新聞、おもちゃ着るもの食べるもの、電話機ステレオ大工道具、部屋はだらりと円になっている。柱を中心に、壁と襖の二つの直線が追いこんで構成する、きびしい隅という場所がない。それに私の時の父の部屋には、床に一輪の花、北に書物机と机上に最小限度の文具、座ぶとんと煙草盆、それきりの寂しい装置です。うかとは踏み込めないような雰囲気がただよっています。
 この舞台あればこそ、喧嘩した子らの騒々しさもぴたりと静まって、幼いながらに無言沈黙の威力のようなものを感じとるし、孤独と退屈の別世界もあるのだと知り、神妙な気持も味わうのです。親も小言などいわず、子もただ坐るだけ――

(幸田文「ございません」『季節のかたみ』 講談社 P105-106 1996 初出は1978)



季節のかたみ (講談社文庫)季節のかたみ (講談社文庫)
(1996/06/13)
幸田 文

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[きびしい隅]の続きを読む
2月20日付拙稿見よこの狭さ!? 8号経路「千町バス」の写真発見!で取り上げた上千町(岩間口)発市民病院行きについて、その歴史を物語る貴重な写真を昨年11月26日付拙稿朝日ヶ丘②の写真などでもお世話になったT.F.様からご提供頂きました。

浜大津にたたずむ「回送」のボンネットバス 滋2い887(社番1133) 1974(昭和49)年12月15日撮影。フロントは「回送」ですが、側面はそうでもなさそうです↓

1974.12.15



[「回送」でも油断はできない?]の続きを読む
このブログは、地域的には実は大阪の方が一番アクセスして下さっています。滋賀県民というのが、大阪府民6人強に対して1人しかいない、という母数の問題もあるのかもしれません。

そうしたよその地域の方に、「大津市役所はどこにあると思いますか?」と問いかけると、たいてい、「浜大津?」「大津駅前?」といった答えが返ってくるのかな、と思います。しかし、これらの地域を血眼になって探しても、市役所はありません。

1967(昭和42)年3月の移転まで、大津市役所は、今の浜町のバス停の角にあったそうです。それが、米軍から返還された皇子山の今の位置に移転します。

大津市役所↓ それなりに立派な建物で、全体を撮ろうと思うと結構難しいし、新しく撮りに行くのが面倒臭いので、4年前の写真を。中核市移行前、源氏物語千年紀キャンペーンの時ですね。

ssIMG_2802.jpg

ちょっと変な譬えかもしれませんが、オーストラリアのキャンベラ、ブラジルのブラジリアのようなもので、新しく開発された何もない外れに行政の中心が移ってしまったのです。
少なくとも滋賀県内の他の都市、或いは京阪沿線の北河内の各市で、ここまで中心駅や市街地から派手に外れている市役所というのはないのではないかと思います。

前置きが長くなりましたが、すると当然、交通の問題が発生します。
新庁舎完工式を控えた、44年前の今日、1967(昭和42)年2月24日の滋賀日日新聞は「バス路線申請に悲鳴」の見出し。

大津市役所新庁舎完成に伴い県陸運事務所に、同新庁舎前の県道(浜大津-坂本本町線)のバス路線免許申請があいつぎ、同陸運事務所では「道幅が狭いのに、一分間に一台の割でバスが通ることになれば交通マヒも考えられる」と頭を抱えている。



[大津市役所新庁舎バス路線問題]の続きを読む
『京阪バス五十年史』の年表によると、50年前の今日、1961(昭和36)年2月20日「外畑線 赤川-上千町間運輸開始」とあり、その4日前、16日に「臨時免許」が出たということが分かります。しかし、翌1962(昭和37)年9月3日に「千町線、赤川-上千町間2.0km路線延長免許」とあり、矛盾しています。

仮説ですが、昭和36年の免許はあくまでも臨時免許で、37年の方が正式な免許だったのかと思います。

残念なことに、上千町行きの開通を伝える新聞記事は、見つかっておりませんが、少なくとも40~50年という、京阪バスの全路線中でもかなり古い立派な歴史を持った路線らしいことは分かります。

この路線について、昨年9月3日付拙稿懐かしの8号経路 上千町行き ①運転開始時期の謎で「最重要研究課題路線」なんて恥ずかしいことを書きましたが、以前、JRバスや京阪宇治交通の写真でご協力頂いた、読者のまんたろう様から、何と見たい見たいと願っていた…

8号経路時代の廃止区間の懐かしい写真をご提供頂きましたので、特に代表的な3枚をアップさせて頂きます。インターネット上での大津・8号経路の写真公開は、恐らく史上初だと思います。



南郷中学校系統と共存していた、1989年版の昭文社の地図が分かりやすいので、下に示しました。が付いているのが撮影地です。

の西、つまり左から順番に並べています。2枚1セットで、それぞれの2枚目が、現在の様子です。できるだけ撮影位置に忠実にしたつもりです。


南郷2

最終運行日、1993(平成5)年6月19日の撮影、上千町-下千町間です。

住宅地の合間を走る2 上千町~下千町 6月19日 8:04頃

ssIMG_3244 2
[見よこの狭さ!? 8号経路「千町バス」の写真発見!]の続きを読む
今シーズンは、いつになく雪が多く、雪が比較的少ない湖南でも、3、4回くらいは本格的に積もりました。
山科の京阪バスは私が聞いた限り、2回ほど完全にストップしたそうですし、大津もダイヤが大きく乱れ、例えば2月14日には、「京阪グループバス掲示板」にて異例中の異例? B車3台まさかの夜運用 と題して書かせて頂いたような、おいそれとは見られない珍しい運用が発生しました。

一方、大阪は雪がほとんど積もらないらしくて、同僚や友人と話がかみ合わないことにも驚きました。

なんしか、今までの数年が暖か過ぎたのかもしれません。

雪の季節も終わり掛けのこの頃you tubeで見つけた「粉雪」の合唱版にハマっていて、他の音楽がなかなか耳に入りません。もともとロックバンド レミオロメンの歌で、ドラマ「1リットルの涙」の挿入歌としても有名だそうです。




僕は君の心に耳を押し当てて 
その声のする方へすっと深くまで
下りてゆきたい そこでもう一度会おう



どうしてこういうことばがそれこそ「すっと」出て来るんでしょうね。いや、すっとじゃなかったのかな…。

「二人の孤独を包んで空にかえすから」
いいですね~♪ 
といいつつ、内心…(そんなん返(かや)して要らんわ、ていうかやった覚えないぞ)とか言いそうな自分が…(汗

「僕は君の全てなど知ってはいないだろう」
「分かり合いたいなんて 上辺を撫でていたのは僕の方」


「あなたの全てを誰よりも知っていると思ってた」
なんて厚かましい歌詞も少なくない中(その曲はその曲で好きなんだけど)、この一歩引いた謙虚さというか、現実をわきまえているところが、80年代、90年代までとちょっと違う冷静さですね。いや、単に男女がどう距離を取っていいのか分からない戸惑いなんでしょうか、或いは諦め?とにかく、そのもどかしさが、地上の私たちのところまで舞い降りるかどうかのうちに儚く消える、「粉雪」の象徴する所のように思えてなりません。

前半で、本当に粉雪が舞い降りてきそうな高音の粒のそろった伴奏が、サビの部分で一気に低音に下りるところがいい♪歌の強弱もそこでくっきり分かれます。ヘッドホンを使うと、そのコントラストのよさが、更にはっきりと分かります。

ピアノは普通88の鍵盤があるのですが、歌が、「♪こなーゆき、ねえ」と一番盛り上がるところでは、普通はあまり使わないようなB♭0(=鍵盤の左端の一番低いラの次のシ♭。ト音記号の、私たちが普通にイメージするシ♭の4オクターブ下)という重低音を使っていて、鍵盤のほとんど全体が活用されているようです。
こんな低い音は、下手するとすぐ濁って、使いにくそうなんですが、この曲ではうまく生きています。

で、例によってまたすぐに伴奏譜を取り寄せたのですが…。

混声合唱ピース 粉雪 若林千春編曲 (2305)混声合唱ピース 粉雪 若林千春編曲 (2305)
(2006/11/25)
若林 千春

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粉雪

ヒャー…。5本の指フルに使って和音を叩くなんて見たことない。何より、見るからに不気味な16分音符のアルペジオ!聴けば幻想的で不思議な響きできれいなんだけど、弾くのはやだなあ…。パッと見は、合唱の伴奏というより、ベートーベンやモーツァルトのピアノソナタのカデンツァか何かみたい(-_-;)

というわけで、この曲が弾けるようになるのは多分、雪のシーズンが終わって、暑くなって、また雪のシーズンが来て、それも終わって………いつ、「粉雪」とめぐり合えるか分からないですねorz

大津市立南郷小学校の校歌には、「立木 岩間の山なみや 朝日に輝く袴腰」と3つの山が登場します。前二者は立木観音岩間寺という古刹を抱え、袴腰山はこれといった名所こそないものの、形が特徴的で、栗東辺りからでもすぐにそれと分かる山を望むことができ、瀬田川洗堰(南郷洗堰)とともに南郷のシンボルともいえる山です。

しかし、もう1つ、石山学区や、京都市伏見区との境付近に、特徴的な山があることを、多くの方は忘れていると思います。大平山、別名「手形山」です。

2003(平成15)年、この麓に「特別養護老人ホーム 千寿の郷」ができ、京阪バスの路線も延びました。
正面の淡いブラウンベースの寄棟型の屋根の建物が「千寿の郷」、その背景に聳える山が大平山こと手形山です。社番は分かりませんが、W-379×と思われるブルーリボンがちょうど走ってくるところです。

s-IMG_2990.jpg

京滋バイパスより手前に下がった位置から…

00000358.jpg

この「手形山」について、61年前の今日の、京都新聞滋賀版に、下のようなコラムが掲載されていました。

S25.2.14京都新聞滋賀版

[1950(昭和25)年2月14日付京都新聞 「手形山伝説」]の続きを読む
1966(昭和41)年の朝日新聞の「近畿特集」には、「バス停」という、近畿地方のバス停をめぐる話題を取り上げるコラムが断続的に連載されていて、45年前の今日、2月12日付は「浜大津」でした。

このバス停は湖国巡りや京阪神を結ぶ交通網の中心。京阪電鉄、江若鉄道の始発、終着駅を背後に、五つのバス会社が日に九百台近くのバスを乗り入れ一日の乗降客はざっと二万五、六千人。年間約一千万人にのぼる人が、このバス停を利用しているという。



5つのバス会社というのは、京阪江若近江滋賀交通、もう1つは影が薄いのですが、国鉄です。国鉄バス若江線というと、江若と共同運行で、今津-小浜間、というイメージですが、一部浜大津に足を延ばしていました。

それにしても1日900台のバスとは賑々しいですね。仮に朝6時台から夜10時台まで運転されていたと考えると、1時間当たり平均…50台以上!?ホンマかいな???すごいですね。今その半分もないですね。

それでも、京津線の浜大津駅と石山坂本線の浜大津駅の駅舎が別々になって線路が平面交差しているは、江若の浜大津駅もあるはで、バスが落ち着いて止まっていられるスペースは、3台分だけだったそうです。

十年ほど前までは、春と秋の行楽シーズンと、夏の水泳シーズンだけにぎわっていたが、最近はスキーブームで、冬も湖北、湖西の各スキー場へ出掛ける人でこみ合い(略)



今よりはるかに重要な交通の結節点であったことが分かります。

1971(昭和46)年9月、現在地に新しいバスターミナルができ、更にその約10年後、1981(昭和56)年4月13日、京阪電車の駅が統合され、同じ年の10月、現在あるバスターミナルが完成しました。
皮肉なことに、バスターミナルが広く、立派に確保される度に、バスが本数を減らしていったものと思われます。

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46年前の今日、1970(昭和45)年2月10日、石山駅が橋上駅化されます。京阪石山駅の移転により、ペデストリアンデッキが接続したり、かなり改造はされましたが、完全に改築された大津駅と違って、駅本屋(えきほんおく)の基本的な構造は今も変わっていません。

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この約1カ月後、3月9日に、草津-京都間が複々線化され、昭和40年、先に複々線化されていた京都-西明石間とつながって、全国最長の複々線区間となり、その記録は未だ破られていません。

今も、当時を偲ばせるものがあります。


[1970(昭和45)年2月10日 石山駅橋上駅化]の続きを読む
一昨日の拙稿「完全撤去間近?東レ滋賀事業場専用線」でのお約束通り、東レ専用線を通る列車の写真を掲載させて頂きます。kugai様のHP Kugai'sより、専用線部会斗争@石山 & 守山掲載の写真の転載をご許可頂きました。

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子どものころから、親の車や、国道経由のバスに乗って通る度に、この様子を見たい見たいと思って20ン年。毎日通っている、京阪バスや近江バスの運転手さんでも、多分、この踏切で止まった人はそういないのではないかと思います。ちゃんと、列車が走っていたんですね。感慨深いです。やっと念願がかないました。
一昨日の記事に掲載した小屋には、赤い旗を持った旗手がいます。私が知る限り、ずっと青の踏切信号機も赤になっています。

滋賀県は、全国屈指の人口増加率で、東京や大阪ほどのスピードではないでしょうけど、確実に街並みが変わっていっています。懐古趣味みたいだけど、でも、二度とない瞬間を記録し続けないと、気がついた時には、失われたものを思い出す縁(よすが)すらなくなってしまいそう…。その点で、この写真は大変貴重なものだろうと思います。

Kugai様にご協力頂いた後、更に、別のサイト様にも写真が掲載されているのを見つけ、リンクのご承諾を頂きました。

声高秀史様の別冊・鉄道雑画帳内の「別冊・鉄道雑画帳:専用線スイッチャー(石山)」に、今まさに東レの敷地内から、国道の踏切に出ようとする、貨物入れ替え専用スイッチャーの写真があります。参考文献も詳しく書かれているので、そちらもぜひ見てみたい、と思いました。

専用線と言えば、石山にはNECの専用線もありますので、これもおいおい取り上げる予定です。

末筆になりましたが、快くご協力下さいましたKugai様、声高秀史様、ありがとうございました。