青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

(引用者注:大津市のボウリング場は)このほどジュニアデパート平和堂石山店の五階にオープンしたボウリング場を含めて七施設をかぞえ、一レーン当たりのボウリング人口は八百人と営業の目安となる二千五百人-三千人をはるかにダウン。
1970(昭和45)年12月27日付産経新聞滋賀版



1月24日付拙稿で取り上げた記事のすぐ横に載っていた記事です。1970(昭和45)年というと、大阪万博の年であり、草津-西明石間が複々線化された年ですね。空前のボウリングブームでも、既に供給過剰だったことは驚きです。当時の滋賀県の人口は何と90万人にも届きませんでした(現在は約140万人、それでも京都市や神戸市1つ分に届かない)

それにしても、yume様やK2様もコメントして下さったように、あんなところがボウリング場だったなんて、信じられませんね。いつごろまで続いたのでしょうか?
10年くらい前は百円均一や携帯ショップがあったからたまに上がることがあったけど、もう最近行かないな。百均も4階に下りてきているし、HOPカードや平和堂商品券などが使えて助かる本屋さんも4階だから、それより上はイメージが湧きません。今は、リニューアルを繰り返しても、「くたびれた田舎のスーパーマーケット」感がぬぐえないけど、当時は「全国最大規模」だったというのだから、驚きです。

ssIMG_3352.jpg



余談ですが、「ジュニアデパート平和堂」なんていっていたんですね。「ジュニアデパート」って何やねん?あか抜けせんことばやな…。絶対に和製英語だろうな。

ゴルフ場も次々とできていたことも書かれています。

ゴルフの大衆化を反映して湖国のゴルフ場も昨年オープンした大津カントリー、名神栗東を加えて十カ所にふえた。(中略)さる四十年三月にオープンした大津市瀬田大江町の瀬田レークサイドゴルフコースも開設当初は月に千人足らずの客だったのが、最近では、二千五百人と約二・五倍の伸び



大津カントリーは、京阪バス曽束に行く途中の「ゴルフ場前」という子どもの遊びみたいな名前の停留所の由来ですが、会社更生法が適用されてしまっています。瀬田のレークサイドゴルフ場なんて、今、近江のバス停の名前にしか残っていないんじゃないでしょうか?

記事には「施設や交通的な立地条件の優劣から激しい浮沈の現象もあらわれて」とありましたが、40年後にはここに挙げた施設のほとんどが夢の跡になったり、破産したりなんて、誰も考えてもいなかったことでしょう。
スポンサーサイト
もう10年以上前だったと思いますが、何かのバラエティ番組で「あの世行きのバス停」があるという話題が取り上げられ、現地を調べたら、古いバス停が、廃棄を待ってずらっと並んでいた、という光景が写ったのを覚えているのですが、40年以上前の大津市内でも、似たような光景がみられたようです。

43年前の今日、1968(昭和43)年1月27日付朝日新聞滋賀版。
琵琶湖文化館の前、東側の広場に、ずらっと並ぶバス停約30本。近江鉄道バスは、今とデザインが変わらないので、すぐに分かるのですが、他はよく分かりません。

時間表をぶら下げて標柱が三本も四本も背比べ-どこのバス停でも見かける風景。「これではお客さんも不便。細い路地では交通の邪魔」と、このほど県バス協会が、共同標柱を採用した。このため国道の石山駅-浜大津間で、三角柱のスカッとした新標柱に追われた使い古しが、この群れ。同協会が置き場所に困って埋め立て地へ。


なるほど。この当時は石山駅-浜大津間だと、京阪、近江、帝産、滋賀の4社がひっきりなしに走っていたのでしょうね。
今も国道経由は共同標柱ですが、ここに書かれている「三角柱」ではありませんね。このバス停がどんなものなのか、私にも分かりません。今は、瀬田や草津方面などとも同じ、四角い、平面的な標柱です。1977(昭和52)年6月15日付滋賀日日新聞に、「上別保」のバス停の写真があるのですが、34年前の時点で、既に現在の標柱と同じものです。

(写真↓は、「雲雀ヶ丘」の石山方面です)
ssIMG_3336.jpg

ssIMG_3337.jpg

あと湖岸道路の方は、基本的に京阪バスの標柱をベースにした共同標柱で、国道の方とは別になっている、というのも、よく考えれば不思議だ、と最近知人と話したのを思い出しました。

(写真↓は、「木下町」の浜大津方面です)

ssIMG_3347.jpg

ssIMG_3345.jpg

それにしても「狭い路地では交通の邪魔」とありますが、国道は別に狭くないし、むしろ、石山商店街や、瀬田の橋本周辺の方が狭いのに、そちらは未だに共同でない標柱があります。

そればかりか「松原」なんて、バス停名も不統一で、この3年後の1971(昭和46)年12月9日の京都新聞では、京阪・京阪宇治は「松原」、帝産は「東レ前」、近江は「松原東レ前」だと書かれています。写真に写っている標柱も各社別3本です。

バス停は、駅と並ぶ街の顔。分かりやすく、便利であって欲しいですね。
因みに、43年の記事の方の標柱は、使えるものは別の場所で使う予定だと書かれていたので「あの世行き」ではありませんね。

何より若い人が(スキーに)行かなくなった。車や外国への興味が薄れたのと同根だろうか。それとも寒さを嫌う「巣ごもり派」が増えているのか。スキー列車やスキーバスのにぎわいも、今は昔の話らしい。

(中略)

山へ、釣りへ。ガールは外に飛び出すが、ボーイが引きがちなのが気にかかる

(1月12日付朝日新聞「天声人語」)



ついこないだ、「私は、わざわざ寒い時に寒いところに行くことあらへんわ、という実に拗ねた若々しくない性格で、スノボなんてほとんど行かないので」びわ湖の銀嶺へ12月26日付)と書いたところなので、ギクッとしてしまいましたw
そんなに大きい、ちゃんとしたカメラじゃないから、撮影の時もいちいち手袋を取らないといけないでしょう?だから、撮るのも億劫で、冬は撮影枚数が少なくなりがちです。

まあもう「ボーイ」やないし、ええねん♪と、都合のいい時だけ「オッサン」になる…。
普段「オッサン」はもちろん「おっちゃん」なんて言われても「どこにオッサンいてるねん?」と振り返りもしないくせに。

スキーバス、列車と言えば、やはりマキノを思い出しますし、マキノスキー場前に京阪バスを含め、ずらっとバスが並んでいる写真もどこかで見た覚えがあります。江若鉄道がなくなった直後は、京阪バスと江若バスが主役だったようです。

1970(昭和45)年12月27日付産経新聞滋賀版によると、26日から、以下の通り臨時バスの運行を始めたそうです。全て大津駅の時刻、運賃も大津駅から終点までです。

マキノスキー場行き(460円)
平日 8:10(江若) 17:40(京阪)
休日 7:17(京阪) 7:37(京阪)  7:50(江若) 

比良スキー場行き (230円)
平日 8:05 9:05 14:50 
休日 7:40 8:00    (すべて江若)

びわ湖バレイ行き (200円)
土曜・日曜の前日 17:27 17:57 (いずれも京阪)
日・祝日 7:42から10分おきに、京阪と江若が交互に5本

午後出発するというのが不思議な気がしますが、もうこの当時既にナイターとかあったのでしょうか?
[大津駅発マキノ・比良・びわ湖バレイ行き]の続きを読む

白い光の中に 山なみは萌えて 遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ



亡くなった方の話が続いて恐縮ですが、気になったので、予定を変更して…。
各紙が報じた通り、卒業式の定番曲として有名な「旅立ちの日に」の作詞者・小嶋登氏が亡くなりました。80歳だったそうです。秋川雅史中(あたり)孝介などの有名人のカバーも話題になりました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110122-00000057-jij-soci

NHKの合唱コンクールのためにプロが作ったとか、そういう曲ではなく、秩父市立影森中学校長だった小嶋氏が荒れた学校を「歌声の響く学校に」と努力して3年目の集大成として、1991年、音楽の教員から依頼されて作った詩だそうです。有名な曲としては珍しい履歴だろうと思います。同中学校のホームページの、「沿革」や、現校長のあいさつでも触れられていて、学校の宝物なのでしょうね。

鉄道にも、バスにも全て歴史がありますが、歌にも、それなりに歴史や背景があるものです。

↓「しろい」の「し」という発音しにくい、割れやすそうな音から始まるので、きれいに歌うのが難しそうです。



ニュースを知って、ふと合唱用の楽譜を取り出して、ピアノ伴奏を弾いてみました。数年ぶりかな?自転車や水泳は一生忘れない、というのに、ピアノはどうしてすぐに忘れるのでしょう?楽譜にかじりつくようにして、何が書かれているのだろう?と、初見の曲のように覗きこんで読む有様。目と脳、脳と手、繫がったり繫がらなかったり、この辺だったかな、と見当をつけて伸ばした指が変なところに当たって、鈍い不協和音を立てる……時には、自分で以前書き込んだ指番号がおかしいんじゃないか、と思うところを矯正したりもしながら、2,3回繰り返すと、不思議なもので、「ここは鍵盤に載せたまま指を差し替えるんやったな…」とか、手がある程度思い出して、そこそこ動き始めました。

伴奏版もありました↓ 



弾きながら、歌詞を思い出す余裕が出て来ると、ビート感のある伴奏と、詩がよく合っていることを、改めて感じさせられます。

「飛び立とう未来信じて」

ますます難しいことの多い世の中ですし、中学当時の自分から見たら、今のぼくは、決してかっこいい未来を生きているとは言えないだろうなと思いますが、でも、やっぱり前を向いて生きて行きたいですね。歌詞には、40年ほどに渡った教員生活における、小嶋氏の願いが余さず込められているような気がしてなりません。

ご冥福をお祈りいたします。
私はテレビを生で見ることがほとんどなくて、いつも撮りためたビデオを見ています。

最近は、正月に撮りためた漫才を聞いています。若手は若手でいいのですが、私は、「宮川大助・花子」「今いくよ・くるよ」、ちょっと下品な時もあるけど「オール阪神・巨人」や「トミーズ」、などなど、ベテランが安心して見ていられるというか、なんだかんだ言っても伝統的なしゃべくりで、やっぱりおもろいな、と思います。

しゃべくり漫才、というとちょっと違うんでしょうし、「お前いくつやねん?」といわれるかもしれませんけど、今年は正司敏江・玲児の漫才が聴けないのが残念…。もう玲児さんが亡くなって1カ月過ぎたんですね。

相方で、「元妻」の敏江さんは、舞台に出て来るともうそれだけで笑けるんですよ。登場するだけで顔がほころぶ、そんなひとはそういません。ド派手な衣装で、本当に文字通り、転がり出てくる、という感じが好きです。天性の漫才師、という印象を受けますが、実はそれも玲児さんの厳しい稽古とフォローによって、磨かれたようです。誰のコメントか忘れましたが、ネタ合わせする時の彼女は、玲児さんに怒られてばかりのかわいそうなおばさんにしか見えない、と聞いたことがあります。

サンスポの記事↓によると、
http://www.sanspo.com/geino/news/101214/gnf1012141048001-n2.htm

「台本の覚えが悪い敏江に、玲児さんが本気でキレたことで生まれた“どつき漫才”。一世を風靡した芸は永久に封印する」

そうか……封印しはるんや、ちょっとさびしい、と思いましたが、

「『これからは穏やかな感じでいきたい。一人でしゃべれるネタがある。玲児さんが一人でやっていける根性つけてくれた』。天国の玲児さんに見守られ、ピン芸人として舞台に立ち続ける」



なるほど…。この新たな挑戦と、静かな自信に、一ファンとして、心からのエールを送るとともに、玲児さんのご冥福をお祈りします。
『京阪バス情報局』様の「特別企画」の前書きに、

今回お借りした写真の中にも、例えば、大津比叡山線(旧30号経路 大津駅-四明嶽-堅田駅)、宇治川ライン線(旧10号経路 石山駅-京阪宇治)、旧8号経路(上千町-石山駅 一部 国道市民病院・市民病院前)などは含まれていませんでした



と書きましたが、最近リンクさせて頂いた『撮影劇場』様は、すごい写真の宝庫で、やっと10号経路旧30号経路の写真など、ないないと思っていた写真を見ることができました。感激して、自分でも「しまったことしたかな?」と思うくらい、思い切りコメントさせて頂いてしまいました(汗)。

京阪バス関係でしたら、『京阪バス』のカテゴリをクリックすると、京阪関係の写真が出てきます。エアロスターKが新車だった当時の写真は、ピカピカしているのが伝わってきます。

ご自身のブログでも公開できるのに、いろんなひとに見て欲しい、とのご厚意で、未公開の写真を提供して下さいましたので、以下に数枚出させて頂きます。

IMG_0348.jpg

[ないないと思っていた写真が…]の続きを読む
何か面白いことが出てこないかな、としばしばマイナーな地名やバス停名を検索してみたりするのですが、「内畑」を検索したら、こんなページが…↓

「石山内畑の英語・英訳」?????

検索結果

何やこれは?固有名詞なんやし、〝Ishiyama Uchihata″か〝Ishiyamauchihata"くらいしか書きようがないんちゃうのか?と思って、クリックするとウェブリオというweb辞書でした。

Ishiyamauchihata

案の定、後者の綴りが書かれていましたが、しかしそれにしても大津市民でも北部のひとなら知らない可能性が高い小さい地名が何でこんなところに…。ウィキペディアにだって載っていないし、実に不思議。どうせなら、「大津市南部の集落。古くは岩間寺や醍醐寺への参詣道として栄え…」なんていう解説をつけたら完璧なのに。

画面右の方には「お隣キーワード」なる項目があって、その中には何と「石山団地」が!どんな英訳だろう?

お隣キーワード
[石山千町=Ishiyama one thousand towns?]の続きを読む
1月7日(金)、多くの学校が始業式のこの日も雪の朝。石山駅から見る音羽山逢坂山が行く手を阻むように白く峻厳と立ちはだかります。石山でこれじゃあ比良山なんてもっとすごいだろうな。

ssIMG_3204.jpg

と思っていると、8時頃、石山駅の上り待避線になぜか205系が入って来ました。

ssIMG_3198.jpg

やっぱり日根野だ…。番号は撮り忘れたのですが、車体側面をアップにして確認すると、もともと阪和線用の1000番台ではなく、0番台でした↓

IMG_3201 (2)

東京のひとなんか見ると、「前の山手線の色違いだ!」みたいな感じで懐かしいかもしれないですね。調べてみたら、思っていたより最近(2005年)まで山手線を走っていたようですね。

草津方から…
[石山に205系]の続きを読む
本ブログ朝日ヶ丘②などに写真や資料をご提供頂いているT.F.様より、昨年12月26日付の拙稿「びわ湖の銀嶺へ」で紹介させて頂いた新聞記事を、同志社大学鉄道同好会(DRFC)HP内の掲示板で取り上げたいとのお申し出を頂戴しました。ご了解させて頂き、掲載して頂いたところ、思いがけず、たくさんのご反響を頂いたとのことで、幸甚です。

有名な、京阪電鉄四宮車庫火災(昭和24年8月7日)の直後、当時の社長が、
「日本で珍しく立派な京津国道に電車を走らせるよりも、むしろ快適なトレーラーバスを走らせる方が旅客輸送面から見ても効果が大きいので研究したい」
とコメントしたという新聞記事を引用されている方もいましたが、この記事は私も偶然見つけて驚いたものでした。歴史に「もしも」は禁物といいますが、もしも実現して京津線がなくなっていたら、どうなっていたのでしょう?

中には、12月28日付拙稿「新生日本は輸送復興から!」京津国道線にトレーラーバスで取り上げたトレーラーバスに実際に乗車された、という方もいらっしゃいました。
[びわ湖の銀嶺へⅡ]の続きを読む
52年前の今日、1959(昭和34)年1月7日付滋賀新聞↓
5年計画で工事が進められている湖岸道路に13もの路線バスの申請が出ている、とのニュースです。

S34.1.7S 湖岸道路13路線申請b

面白いことがたくさん書かれているのですが、京阪バスの一般路線の申請は……、
[1959(昭和34)年1月7日付滋賀新聞 湖岸道路13バス路線申請]の続きを読む