青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
早いものでもう大みそか。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
湖南としては久しぶりのまとまった雪になったので、思わず雪景色の撮影に出てしまったりもしましたが、今は大好きなチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」を流して(個人的に、秋から冬にかけてぴったりな曲だと思っている)、ストーブで温まりながら、この記事を書いています。もう長いこと紅白歌合戦もまともに見たことがなく、例年、こういう感じでパソコンに向かったり、本を読んだり、いつもと変わらないことをしています。

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(南郷二丁目にて チェーン走行のA-3755)

今年もいろいろな出来事がありましたが、京阪バス関係で大きなニュースと言ったら何でしょうか?京滋方面の方と、大阪方面の方、沿線住民の方と、ファンの方、それぞれ思い浮かべられることは多少違うかもしれませんね。去年は何をさておいてもやっぱり直Q京都号でしたでしょうけど、今年はやっぱり山科急行線の開通だったのではなかろうかと思います。かねてから噂はあって、あそこをバスが通ればいいのに、という希望的観測もあったので、驚かなかったというひともいたようですが、利用者の利便性が高まったという点で、やはりニュース性があると思います。

下半期だけ見ると、私の身近には、高槻営業所に数十年ぶりに入ったいすゞのN-6200を挙げる方もいましたし、歴史的な意義はありますが、利用者にとっては関係のないことなので、私から見るとやっぱり大津のカード導入というのがインパクトがあったと思います。利用者はまだ少ないですが…。

私としては、思ったよりもブログをたくさんの方に見て頂き、いろいろな方とお会いしたり、お話を伺ったり、思いもよらぬ写真や資料を見せて頂く機会に恵まれたり、本当にありがたかったです。更新をするのが結構大変なので、ペースは少しゆっくりにさせて頂こうかとも思いますが、来年も宜しくお願い致します。

寒いですが、皆様がいいお正月を迎えられますように…。
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57年前の今日、1953(昭和28)年12月30日、京阪バス大津市内線が運転を開始します。
いち早くこのニュースを取り上げたのは、同年3月9日付の滋賀新聞↓

S28.3.9S 京阪バス大津の山手と湖岸を8の字にb

注目すべきは「ワンマンカー」の文字。日本のワンマンバスは、1951(昭和26)年の、大阪市交通局が始まりとされており、その影響を受けたものと考えられます。
しかし、実現はしなかったのか、12月の開通直前の各紙を見ても、そのような記述はありません。

同年12月29日付朝日新聞滋賀版↓

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同年12月29日付滋賀新聞↓

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同年12月17日付滋賀新聞↓

S28.12.17S 大津市内線運行開始b (2)

同年12月26日付読売新聞↓

S28.12.26Y 大津市内線運行開始b

滋賀新聞は、さすが地元紙だけに、ダイヤも載せて、詳しいです。
[1953(昭和28)年12月30日 大津市内線運輸開始]の続きを読む
27日付の拙稿感動!バッハ・コレギウム・ジャパンの「メサイア」などでも書きましたが、11月14日、大阪・福島の「ザ・シンフォニーホール」でトン・コープマンのオルガンとチェンバロの演奏を聴いてきました。バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明氏だって、十分すごい人なのに、そのひとが師事したというくらいのバッハ研究の権威です。彼の演奏に好き嫌いはあるようですが、私は飽きずに聴いていられるので、波長が合うのでしょう。

チェンバロというのは、中学校の音楽の鑑賞で教わった方も多いと思いますが、ピアノと似て非なるもので、弦をはじくという構造なので、音に強弱をつけたり伸ばしたりすることはできません。従って、下手すると、音色が単調になりがちなのですが、コープマンの腕にかかると、あたかも強弱の表情が付いているかのように聴こえるのが不思議。

コープマン パンフ

アンコールはチェンバロ1曲とオルガン2曲の計3曲もして下さって、感謝至極!!

ちょっとしたアクシデントは、第1部のチェンバロの演奏中に起きてしまいました。

譜めくりなしで、片手がそれほど忙しくない時に(といっても、本当にわずかな間に)自分で楽譜をめくっていたのですが、勢い余ってめくりすぎて、演奏が止まってしまった!のです。た、大変ださすがに本人も、一瞬困ったような表情をしているのが、私が座っているところからでも見えましたが、余り焦っているという感じには見えませんで、やっぱりプロ、すぐに態勢を立て直しました。私だったらその場で失神していますわ。いや、失神できたらいいけど(爆)。

正に弘法も筆の誤り、誰でも間違えてしまう時はあるものです。コンサートに行くとやっぱり、世界的に有名なひとでも、あ、今音が飛んだとか、私程度でも分かる間違いをすることは珍しくありません。ライブは何が起きるか分からなくて怖いですが、でもそれも魅力やし、間違いがない、ということだけが素晴らしいのではないと私は思います。間違えたり、アクシデントがあったりしても、そこでどうするのか、というのがプロの腕の見せ所であるような気もするのです。
[譜めくりの恐怖~誰にでも失敗はある…]の続きを読む
1947(昭和22)年12月28日、63年前の今日の京都新聞の記事↓京津国道線に、大型トレーラーバスを導入する、とあり、時刻表も示されています。トレーラーバスには○印がつけられ、運用が固定されていたことが分かります。時刻を見る限り、大津単独では運行が難しそうなので、京都と共管だったのかもしれません。

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私は、沿線住民の方やファンの方など、多くの方が思っている以上に、京津国道線は歴史的に重要な路線だと考えています。昭和3年、京滋地区の京阪バスの前身の核となった、「京津自動車株式会社」によって運行を開始し、以後、京阪電鉄の京津線と並行しながらも、多くの通勤、通学客を運び、また、時期によっては運賃がプール制だったこともあります。

そして、何より、戦後復興の象徴であるところは、京阪バス自ら社史に書き記しているところであります。

京阪バスに限らず、終戦直後はどこのバス会社も、戦争によって運転手や車掌が不足したり、燃料がなかったりで、休車や路線休廃止が続き、満身創痍、交通はマヒして大混乱の状態でした。京阪バスは、101台の車両を抱えていたものの動かせるのは58台、しかも老朽化していて、休んでいる他の車から部品を取って使いまわしているような状態だったそうです(『京阪バス五十年史』P70)。そんな中、くしくもこの記事が出るちょうど2年前、1945(昭和20)年12月27日、滋賀県知事から、路線復活に関する通牒が出されました↓

[「新生日本は輸送復興から!」京津国道線にトレーラーバス]の続きを読む
行ってきました!憧れの「バッハ・コレギウム・ジャパン」が演奏するヘンデルの「メサイア」!26日、京橋のいずみホールです。

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「メサイア」と言っても、音楽に興味がないひとは、「???」という感じだと思いますが、「ハレルヤコーラス」を聴けば、なんだあの曲か、と思うような、誰もが知る超有名曲です。「ハレルヤ」は第1~3部まで2~3時間かかる全曲演奏の中で第2部の最後の、光に満ち溢れたクライマックスに当たります。

ぼくは個人的には、第6曲〝But who may abide the day of His coming...″「されど彼が来たりたもう日に誰が耐えることを得んや」や、第7曲〝And He shall purify the sons of Levi...″「彼はレビの子らを清めむ」など、ちょっと翳りのある曲が好きです。

歌詞は、「コリント人への第1の手紙」「ヨハネの黙示録」など、新約聖書から採られた語句もありますが、かなりの部分は旧約聖書から採られています。ウィキペディアにうまいこと書かれていましたが、正に、「救世主についての預言を通して、間接的に救世主たるイエスを浮き彫りにする」曲です。この点、新約聖書の福音書から作られたバッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」とはだいぶ違います。新約聖書はどうにかこうにかざっと読んでいるので、割とイエズスの一生がはっきり書かれているこれらの曲はだいたい流れが追えますが、メサイアはそうはいかないので正直苦手でした。要するに、私程度の人間には、「メサイア」は物語がはっきり見えてこないんです。

しかし、最前列の特等席(という席があったわけでなく、普通にeプラスで買っただけ)だったということもあり、演奏者から丸見えで寝られないので聴き始めるともう夢中!
演奏時間外に携帯で撮った写真ですが、私の席から見ると、こんな感じ↓携帯の画像なんで、よく見えませんが、バイオリニストの楽譜の表紙に「Händel」と書かれているのまで分かるくらい。

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一番前なんてどんなVIPが座っているんだろう?高いんだろうなぁと遠い存在のように思っていたのに、思いがけずあっさり座れて、なんだかもっとずっと音楽に詳しいひとに申し訳ないです。

[感動!バッハ・コレギウム・ジャパンの「メサイア」]の続きを読む
私は、わざわざ寒い時に寒いところに行くことあらへんわ、という実に拗ねた若々しくない性格で、スノボなんてほとんど行かないので、最近の滋賀県のスキー場の情報にも疎いのですが、地球温暖化の影響もあるのか、特に12月などという早い段階では、人工雪が多いようですね。

しかし、63年前の今日、1947(昭和22)年12月26日の京都新聞の広告↓によれば、人工雪などもちろん存在しませんが、翌27日からスキー場開場と書かれています。

S22.12.26KY マキノ臨時バス広告b

広告主は「京阪神急行」となっており、今の京阪と阪急が、まだ戦時統合下の状況だった時ですね。分離はこの2年後、1949(昭和24)年のことです。

京阪バスは、「四条大宮より濱大津まで特別運轉スキー船連絡」と書いてあります(筆者注 濱=浜 轉=転)。今、「京阪バス五十年史」などをもとに自分で作った年表を確認したら、何と広告が出たこの日に「スキー旅客輸送のため四条大宮-浜大津間運行認可」されたということですので、それのことですね。「京阪神急行」傘下の会社としてスキー輸送に協力しているということでしょうか。

江若鉄道のことも載っていますが、この時は、まだ京阪系列ではありません。江若の乗車券は、スキー船にも通用すると書かれているので、プール制だったと思われます。

しかし、終戦直後のこの頃、いったいどれほどのひとがスキーを楽しめたのだろう?と思います。京阪バスの戦後復興の象徴である「京津国道線」(浜大津-京阪三条)でさえ、使用できる車両をかき集めて、1946(昭和21)年4月5日に毎日運行を再開したばかりの状態です。

この広告のすぐそばには、「引揚者に對する絹蒲團特別配給の予約を承ります」(筆者注 對=対、團=団)との「京都府海外引揚同胞聯盟」の公告。スキーが悪いとか、そういうことじゃないのですが、とてもそれどころではなく、明日寝る布団をどうしたものだろう、というひとも少なくなかったのでしょう。

この年は、日本国憲法をはじめ、学校教育法、労働基準法、児童福祉法など、今の日本を形作る、基本的で重要な法律がたくさん公布・施行された年でもありました。
春のJRのダイヤ改正の概要の発表は、例年だいたい12月の17,18日なので、その前から毎日のようにJR西日本公式HPをチェックしていました。結果的に17日の発表だったのですが、同日昼頃にチェックした時はまだで、晩に知人からの連絡を受けて見直して腰を抜かしそうになりました。

ミナクサ
南草津に新快速停車

注:この辺の人間は、南草津を「ミナクサ」と略す

草津市長が「南草津駅に新快速停車」を公約に掲げていたことも、大津駅を抜かして、今や滋賀県第3位の乗降客数を誇っていることも知っていましたが、「まさか…」と思ってあまり深く気に留めていませんでした。

「南草津」というキーワードが、ブログ検索でにわかに注目度が急上昇!早くも賛否の声が。

約10年ぶりに南草津駅に行くと……やはり出ておりました横断幕!

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[南草津駅新快速停車]の続きを読む
栗東の競走馬トレーニングセンターは知っていても、草津に競馬場があったことを知っているひとはそれほど多くないと思います。しかし、ネットで「草津競馬場」と検索すると結構いろいろ出てきます。

今の草津駅西口A-SQAREが跡地で、1931(昭和6)年に開設、1951(昭和26)年に休止、1954(昭和29)年に廃止され、その跡は綾羽紡績株式会社の工場となったそうです。
A-SQAREが綾羽の工場跡地であることを知っているひとや、リアルにその工場を記憶しているひとはまだまだ結構多いと思うのですが、さすがにその前まで知っているひとは少ないことでしょう。

まして、そこに、62年前の今日、1948(昭和23)年12月21日、京阪バスの臨時バスが走っていたことなど、誰が想像しましょう?

1948(昭和23)年12月16日付京都新聞滋賀版↓
[草津競馬場 臨時バス]の続きを読む
京阪バス大津営業所の路線の歴史を調べる上では、並行するライバル他社の歴史も必然的に絡んでくるわけですが、本数は少ないながらも異彩を放っていた、石山駅-信楽駅間の国鉄バス(JRバス)は印象的です。2002(平成14)年9月30日に廃止され、現在は「信楽高原バス」が京阪石山寺まで乗り入れています。

京阪バスのバス停はほぼ1つ飛ばしにしか停まらず、運賃こそ京阪バスとの並行区間では京阪バスに合わせているものの、京阪宇治交通(京阪宇治バス)と違って、京阪バスの回数券が使えず、現金でしか支払えなかったため、私も長い間住んでいるのに、2,3回しか乗った記憶がありません。

11月12日付の拙稿「京阪宇治交通石山線 生誕48周年」でご紹介した、宇治交通の車両写真をご提供頂いた、まんたろう様が、ありし日のJRバスの写真を撮影されていました。1989(平成元)年10月22日撮影ですから、西日本JRバス発足約1年半後ですね(西日本JRバスの発足は、JR西日本発足より11カ月後です)。
改めまして、まんたろう様、ご協力ありがとうございます。

京22か2198

今の京阪石山駅の少し広場寄り、駅舎の向かって左手、京阪電車の線路との間に、国鉄バスだけの回転場がありました。ここでもバスに乗れますが、他社のバス同様、広場の方でも客扱いしていました。

この路線は正式には近城線(きんじょうせん)といい、メインはあくまでも奈良駅-加茂駅-信楽駅-貴生川駅間だったようです。つまり、「江」と「山」を結ぶ路線ということです。これは私も最近知りました。奈良ナンバーの車両が使われていることがあって、驚いたことがありましたが、そう考えれば納得ですね。

55年前の昨日、1955(昭和30)年12月18日付の読売新聞滋賀版で、12月21日付での、国鉄バス新路線の開通が報じられます↓
[ありし日のJR(国鉄)バス近城線 信楽‐鹿跳橋開通55周年]の続きを読む
前回に続き、大津京です。
どこかにも書いた気がしますが、どうしてもこの駅名になじめない…。
因みに湖西線開通前の仮称は何と「北大津」です。まあ、あながち間違ってはないですね。大津京よりはるかに実態を表していると思います。なぜそれが「西大津」になってしまったのかという経緯はよく分かりません。

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紅葉の色が淡いのは、葉が落ちて枝が透けて見えるからなのでしょうけど、それはそれできれいで、地形とも相まって、いつか見た岡鹿之助という日本画家の「段丘」という絵のような雰囲気。

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視線を転じて、山科方向を眺めると、シーサスクロッシング(両渡り線)。通った時には写真を撮り損なってしまったのですが、錆びていて、使っている様子はありませんでした。

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ふと右に視線をずらすと、何かに濃緑のカバー。

[特急が特急の通過待ち?(大津京駅)]の続きを読む