先日、
朝日が丘に調査に行った記録がまだ書けておりませんでした。
まず、朝日ヶ丘循環系統のプロフィールを紹介します。
私が把握している限り、起点は西大津駅だったようですが、湖西線開通前は長等公園、開通当初の昭和35年は大津駅だったものと思われます。もともと開発が進む朝日ヶ丘の住民の輸送が目的だったようですが、晩年は滋賀女子高(現在の滋賀短期大学附属高)の通学が目的となっていたようです。1984(昭和59)年6月29日に廃止されました。
大津駅以北は省略しますが、廃止時点では、松ヶ枝町までは現在の国道・湖岸経由の石山駅行きと同じ道筋をたどり、国道のガード下をくぐって、廃止された名神大津行きと並走し、途中、滋賀短期大学附属高に入る、打出中学校下の目立たない角で右折し、
「滋賀女子高前」「朝日ヶ丘住宅前」「梅林」「月見坂」(又は「国道大津」)の順に停車して、松ヶ枝町に戻って行く、という一方通行の循環ルートだったようです。
1983(昭和58)年の奈滋和市街地図集はこのような感じです。

大津駅と言えば琵琶湖のある北側がイメージされやすいのですが、朝日ヶ丘は国道を挟んで南の山手なので、2000(平成12)年にできた南口改札から外に出ました。

あんなところに「飛びだし注意」て何やろう?

トンネルでした。170センチない私の身長でも、かなり低くて「床下の小人たち」になったような気分で、このトンネル通りぬけた時、別世界だったらどうしよう?それもまたいいかな?と年甲斐もないことを考えてしまいましたが、向こう側は普通に逢坂小学校でした。学校の敷地の中に出口があって、階段を上がると国道です。主に小学生の通学用なのでしょう。

まず手っ取り早く探せそうなのが、
「国道大津」のバス停でしたので、古い住宅地図を確認して、東の方向に向けて歩きました。すると…

バスポケットらしきものがありました。最後までここを使っていたのは、恐らく1997年廃止の帝産湖南交通信楽発京都三条大橋東詰行きだっただろうと思われますが、10数年を経た今も、そのままであることに驚きました。潰したところで何かに活用できるほど広いわけでもないし、その費用が無駄だから、放置されているのでしょう。因みに、反対側は歩道がなく、かなり危険な感じでしたが、遺構のようなものは確認できませんでした。

東から見るとこんな感じです↓

残念ながら、廃止された
二本松バス停のようなポール設置痕(拙ブログ
主なき誕生日 「びわこホテル行き」43周年 2010年8月20日付)はありませんでした。
京阪バスの京津国道線や、その延長で四条大宮-外畑ボート乗場間を走っていた旧48号経路は、浜大津を経由していたので、ここは通っておりません。京阪バスとしては恐らく、京都八日市線が名神高速道路に乗せ替えられる前の数年間と、朝日が丘循環線しか停まっていないのではないかと思われます。
「国道大津」と書いてある場合と
「月見坂」と書いてある場合、両方とも書いてある場合があり、同じ場所なのか、違う場所なのかはっきりしません。
続いて、朝日ヶ丘循環線単独区間に入ります。住宅地図を見ると、この桜の木の辺りかなと思いますが、地図は必ずしも正確ではありません。

このポストのある辺りもそれっぽい雰囲気たっぷりです。因みに都市地図には、梅林が国道上にあったように書かれているものもありますが、一般には住宅地図の方が精度が高いので、調査は住宅地図を優先しています。住宅地図は、図書館でのコピーは認められていますが、個人名がたくさん書かれており、個人情報保護の観点からネット上での引用はしませんので、悪しからずご了承願います。

ガードレールの下に、何かの脚があったような痕。こういう場所が怪しい…。

朝日ヶ丘方面を望むとこんな感じです。結構道幅があります。

写真が結構な枚数ですので、今日はこの辺で。次回は
朝日ヶ丘住宅前バス停までを取り上げる予定です。