青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
仕事でよく車を運転していて、聴くともなしにラジオを聴いているのですが、先月、尼崎のアルカイックホールに、ピアニスト、ジョヴァンニ・アレヴィ(Giovanni Allevi)が来るとの広告が流れ、バックに私好みの美しい旋律が…。今思えば、代表曲〝Go with the Flow ″(……「流れのままに」くらいに訳せばいいのかな?)でした。
彼の名前はその時覚えられなかったのですが、アルカイックホール↓で11月20日、というのだけ覚えていて、後で検索して彼だと分かったので、早速席をキープしたのでした。

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調べてみると、ジョヴァンニ・アレヴィはイタリア人で、1969年生まれ。
「そうか、江若鉄道廃止の年やな…」
(最近、何でも交通関係の歴史を区切りにするので、友人に、それ止めて!と苦情を言われています(苦笑))
イタリアでは超有名人だそうで、「ピアノを持たないピアニスト」との異名。
[ジョヴァンニ・アレヴィ(Giovanni Allevi) 尼崎公演]の続きを読む
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最近、you tubeで見つけて、お気に入りなのが、「YELL」。複雑な歌詞分岐と、緻密に計算された素敵な和音、力強いサビが印象的な1曲です。



抜けるような青空と、色づいた木の葉を見ていると、この曲を思い出してしまいます。

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[秋めく窓辺に…]の続きを読む
前回の続きで朝日ヶ丘循環線の跡を辿ります。

朝日ヶ丘住宅前バス停があったと思われる地点から東に進むと、見通しの悪いカーブと、急な下り坂です。こんなところでひょっこりバスが現れたら、かなりびっくりすると思います。

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結構きつい坂です。

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坂を下り切ったと思ったら、また坂です。
今はどうか知りませんが、私が子どもだったン年前は、大津市立南郷小学校の終業式、特に夏休み前は、必ずといっていいほど校長先生が、
「南郷学区は坂の多い学区です」
という前置きをして、坂道で交通事故がないようにしましょう、みたいなあいさつをするのがお決まりなので、確かに葛川(かつらがわ=大津市北端)みたいな山間部は別にして、南郷以外に大津市内にこんなに坂のある学区はないだろうなあ、とずっと思っていたのですが、その認識は、朝日ヶ丘の調査をしたこの日、もろくも崩されました。

[朝日ヶ丘③]の続きを読む
前回の続きで、朝日ヶ丘を取り上げます。

坂を登っていくと、だんだん道幅が狭くなります。ミラーがある角の左手の方からバスが走ってきたはずです。廃止時には片循環だったようなので、私が歩くのと反対方向にしかバスは走っておらず、この角ではバスは必ず右折していたことになります。

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角を曲がってから向こうを見ると、こんな眺め。結構きつい坂です。今、この路線が生き残っていたら、大津管内でも屈指の、走行環境が厳しい路線になっていただろうと思います。

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坂の半分ほどのところです。

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登りつめると、小さなパン屋さんがありました。

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ここで、前にT.F.様からお預かりした1975(昭和50)年3月2日撮影の写真と照らし合わせると…。

朝日ヶ丘住宅前 S50.3.2

何とぴったりでした!

パン屋さんは少し左の方に建て増しがされているようですが、この当時から位置は変わっていないのではないかと思います。右手に見える円筒形のポストも、多分当時から35年以上そのままなのだろうと思います。

バスは車体側面に1つしかドアがないことからも分かるように、ツーマンで、現在の中型車の祖先のようなバスです。

ワンマン化されるまではここで折り返していたそうです。ワンマンになると、勾配が多く、道が狭くて見通しが悪い、ということからか、循環になったようです。実際、1970(昭和45)年の地図では、確かにこの路線は行きどまりに書かれていて、滋賀女子高の停留所はありません↓この地図ではだいぶ滋賀女子高寄りに書かれていますが、実際はもう少し西だろうと思います。因みにこの地図には、驚くべき情報が溢れているのですが、それについてはまたおいおい書きます。

朝日ヶ丘周辺 S45

坂のてっぺんから梅林方向、つまり、バスが走っていた方向を見下ろすと、こんな感じです。

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次回は、滋賀女子高方面に向かいます。


先日、朝日が丘に調査に行った記録がまだ書けておりませんでした。

まず、朝日ヶ丘循環系統のプロフィールを紹介します。

私が把握している限り、起点は西大津駅だったようですが、湖西線開通前は長等公園、開通当初の昭和35年は大津駅だったものと思われます。もともと開発が進む朝日ヶ丘の住民の輸送が目的だったようですが、晩年は滋賀女子高(現在の滋賀短期大学附属高)の通学が目的となっていたようです。1984(昭和59)年6月29日に廃止されました。

大津駅以北は省略しますが、廃止時点では、松ヶ枝町までは現在の国道・湖岸経由の石山駅行きと同じ道筋をたどり、国道のガード下をくぐって、廃止された名神大津行きと並走し、途中、滋賀短期大学附属高に入る、打出中学校下の目立たない角で右折し、「滋賀女子高前」「朝日ヶ丘住宅前」「梅林」「月見坂」(又は「国道大津」)の順に停車して、松ヶ枝町に戻って行く、という一方通行の循環ルートだったようです。

1983(昭和58)年の奈滋和市街地図集はこのような感じです。
朝日ヶ丘周辺 S58

大津駅と言えば琵琶湖のある北側がイメージされやすいのですが、朝日ヶ丘は国道を挟んで南の山手なので、2000(平成12)年にできた南口改札から外に出ました。

飛び出し注意?

あんなところに「飛びだし注意」て何やろう?

逢坂地下道

トンネルでした。170センチない私の身長でも、かなり低くて「床下の小人たち」になったような気分で、このトンネル通りぬけた時、別世界だったらどうしよう?それもまたいいかな?と年甲斐もないことを考えてしまいましたが、向こう側は普通に逢坂小学校でした。学校の敷地の中に出口があって、階段を上がると国道です。主に小学生の通学用なのでしょう。

逢坂地下道南口

まず手っ取り早く探せそうなのが、「国道大津」のバス停でしたので、古い住宅地図を確認して、東の方向に向けて歩きました。すると…

国道大津?1

バスポケットらしきものがありました。最後までここを使っていたのは、恐らく1997年廃止の帝産湖南交通信楽発京都三条大橋東詰行きだっただろうと思われますが、10数年を経た今も、そのままであることに驚きました。潰したところで何かに活用できるほど広いわけでもないし、その費用が無駄だから、放置されているのでしょう。因みに、反対側は歩道がなく、かなり危険な感じでしたが、遺構のようなものは確認できませんでした。

国道大津?2

東から見るとこんな感じです↓

国道大津?3

残念ながら、廃止された二本松バス停のようなポール設置痕(拙ブログ主なき誕生日 「びわこホテル行き」43周年 2010年8月20日付)はありませんでした。

京阪バスの京津国道線や、その延長で四条大宮-外畑ボート乗場間を走っていた旧48号経路は、浜大津を経由していたので、ここは通っておりません。京阪バスとしては恐らく、京都八日市線が名神高速道路に乗せ替えられる前の数年間と、朝日が丘循環線しか停まっていないのではないかと思われます。「国道大津」と書いてある場合と「月見坂」と書いてある場合、両方とも書いてある場合があり、同じ場所なのか、違う場所なのかはっきりしません。

続いて、朝日ヶ丘循環線単独区間に入ります。住宅地図を見ると、この桜の木の辺りかなと思いますが、地図は必ずしも正確ではありません。

梅林?1

このポストのある辺りもそれっぽい雰囲気たっぷりです。因みに都市地図には、梅林が国道上にあったように書かれているものもありますが、一般には住宅地図の方が精度が高いので、調査は住宅地図を優先しています。住宅地図は、図書館でのコピーは認められていますが、個人名がたくさん書かれており、個人情報保護の観点からネット上での引用はしませんので、悪しからずご了承願います。

梅林?2

ガードレールの下に、何かの脚があったような痕。こういう場所が怪しい…。

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朝日ヶ丘方面を望むとこんな感じです。結構道幅があります。

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写真が結構な枚数ですので、今日はこの辺で。次回は朝日ヶ丘住宅前バス停までを取り上げる予定です。
このカテゴリは2回目ですね。前から温めていた「冬が来る前に」がぴったりな時期が来ましたので、取り上げようと思います。

「紙ふうせん」の名曲だということを知ったのはずいぶん後で、中学の時に合唱で歌ったことが印象に残っています。ピアノについては、若松正司編曲版と、海老沢篤編曲版、橋本祥路編曲版があり、原曲により近いのは後者2つのようですが、私は前者の方になじんでいます。

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(2004/08/04)
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冬が来る前に
もう一度あの人と めぐり逢いたい


という有名なサビで、ピアノの右手は16分音符の分散和音が続く、僕の腕では少々苦しい局面です。上手な友だちから、
「冬が来てしまいそう…」
と評されました(汗 
勢いで弾いていて、テンポが不自然に速いということのようです…。苦手なところは、テンポが落ちる場合もありますが、早く逃げきろうとして逆に速くなることもあるのです。

2番のサビの前は、

落ち葉つもる道は 夏の想い出道
今日もわたし一人 バスを待つの


歌ったり、ピアノ伴奏を弾いたりしながら、ここで「わたし」が待っているバスは、どんなバスなのかなとよく思います。エアロスターKあたりが一番似合う気がするのですが、歌が発表されたのが1977(昭和52)年なので、 モノコックボディのバスばっかりですね。まだいわゆる「ブルドッグ」(型式を知らない…)さえ登場していないし、かといってボンネットバスはもう珍しくなっているし、歌の雰囲気ともちょっと違うかな、と思うし。

…バスを待つ「わたし」は、冬が来る前に「あの人」とめぐり逢えたのでしょうか。どんな思いで、落ち葉を踏みながら走るバスに乗ったのでしょうか―――。

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(雑記なら)ネタはたくさんあるのですが、仕事が忙しくて更新が遅れております。すみません。

「大津百町大写真展」 想像以上によかったです。「百町」なので、狭義の「大津」(旧大津市街)の写真ばかりで、なじみのある石山などの写真がないのは残念でしたが、交通関係、特に京阪バスが写っていると、一応チェックしてしまう、悲しい性(さが)。

会場には、特に撮影の制限などはありませんでしたので、「写真の写真」をいくつか。

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京阪バス屈指の歴史的路線、京津国道線、昭和32年撮影。上栄町付近で、線路がないことから、電車の併用軌道が終わった辺りと思われます。別に京津国道線を撮ろうとした写真ではないのですが、さりげなく写っているのが、後々大切になるんですね。



1975(昭和50)年、改築前の大津駅です。今の大津駅より西寄りにあったようです。味はありますが、県庁所在地の代表駅としてはこじんまりとしている印象です。人通りも少ないですが、それは今も同じですね。大津駅の乗降客数が草津駅や石山駅に追い抜かれたのは、手元に資料がないのですが、私の記憶では数十年前の、ずいぶん昔の話で、物心ついた時には、もう3位でした。それが今や南草津駅にさえ抜かれるありさま。駅勢圏が狭いのでしょうね。

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駅の改築中の様子だそうです。浜大津方向に頭を向ける京阪バス…。

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こういう写真を見ると、このバスの行き先は?フロントはどんな感じ?と気になりだします。どんなに近づいても、そこまでは分からないのですが。

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こちらは昭和38年の撮影ということです。見にくいですが、タクシー乗り場の標識が、現在と同じものであることに驚きました。

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お、ボンネットバス!近づくと…。

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三井寺行きでした!この三井寺は、現在の京阪バスの三井寺バス停とも、京阪三井寺駅の位置とも恐らく違います。私の調査では、日赤病院の北、長等神社の前辺りにあった「三井寺下」バス停、後の「長等公園」バス停と思われます。はっきりしたことは分かりませんが、恐らく、昭和50-51年、ボンネットバスがなくなる頃に廃止されたものと思われます。

写真展は明後日23日の勤労感謝の日まで開催中。詳細は「大津百町大写真展」公式ブログをご覧下さい。
こないだ、「大津百町写真展」を見に行きがてら、朝日ヶ丘の京阪バス廃止路線跡の調査などをしようと、大津市立逢坂小学校付近の国道1号線沿いを歩いていたら、消火栓に謎の張り紙…

車のらないで?

「車のらないで」…何やろう?と思いながら、一応写真には撮ったのですが、家に帰ってネットで検索してみると、ちょうど1年ほど前に、和歌山県田辺市周辺で、信号柱などに全く同じような張り紙が多数見つかり、ちょっとした騒ぎになっていたことが分かりました。(紀伊民報2009年11月5日付)

条例違反として、警察が撤去したそうですが、誰が、何のために張ったのか、結局わからないようです。田辺から大津まで相当な距離がありますが、近畿の端から端まで飛び火したのでしょうか?紀伊民報の写真と筆跡はよく似ています。走る車からよく見えそうな所に貼られている点も同じです。

車乗らないで、自転車や公共交通機関を利用しましょう、ということなのか、何なのか…。

因みに、大津百町のことや、朝日ヶ丘のことは順次掲載予定です。
先日4日、NHKで「ブラタモリ」の「二子玉川(ふたこたまがわ)」が再放送されているのを見ました。東京都世田谷区、俗に「ニコタマ」と呼ばれ、東京近辺では洗練されたおしゃれな街として名高い地です。最初、二子玉川は工事ばかりやっている、などと言ってあまり乗り気でなかったタモリですが、高島屋ショッピングセンターができた1969(昭和44)年以前の、今となっては信じられない田園風景の写真を見たり、高島屋の事務所がもともとボーリング場で、今もその跡が残っていることなどを知って、だんだん調子が出てくるのが面白いです。

今ではああいう郊外型の店は珍しくありませんが、物珍しさで遠くのひとも集まって大渋滞になったそうです。しかし翌年には、客がぱたっと来なくなってしまったのだとか。「飽きられた」というよりは、恐らくまだ「ショッピングセンター」の使い方、何たるかが日本人に浸透していなかったのでは?というのが当時の担当者の見解でした。そういう話を聞くと、我が地元、平和堂石山店が、1970(昭和45)年開店当初は全国最大規模のスーパーマーケットだったという話も、まさか…!と思っていましたが、本当にそうだったんだろうな、と思えてきます。

番組のピークは「玉電」こと東急玉川線の話題でしょうか。玉電グッズで飾り立てられ、運転席まであるソバ屋の店内で、「運転」を披露する時のタモリの嬉しそうなこと…。

それにしても、玉電が廃止されたのは、くしくも江若鉄道と同じ1969(昭和44)年なのですが、玉電の方が廃線跡がよく残っているように見えました。鉄道柵など、物理的にもですが、精神的にもというのか、住民の心の中に残っている様子なのです。親も玉電を知らない世代であって不思議ではない小学生でさえ、昔の駅名や位置が分かっていることに驚きました。昔、駅があった位置には、道路に表示があったり、石碑があったりするからなのでしょう。江若で、ああいったものがあるとは聞いたことがありません。今の、堅田や、旧志賀町、或いは湖西方面の子どもは、江若鉄道、と言ってピンと来るのでしょうか。

まあ、昔のことが分かったからなんやねん、と言われればそれまでなんですが、私はどうしても、何事も、どういう道筋を経て今に至っているのか、ということが気になってしまうし、記憶が絶えてしまうよりは、できれば続いていく方がいい、と思うのです。
1962(昭和37)年11月11日から約46年間、京阪バスと瀬田川沿いを並走していた、京阪宇治バス石山線が廃止されて、早いものでこの11月でもう2年が経過しました。京阪宇治交通時代からこの路線を引き継いでいる同社としても、思い入れがある路線だったのか、維中前バス停には、当時、わざわざ路線の開設年も示した廃止告知がされていました↓ 「宇治田原町の皆さまへ」という書き方も、あまり例を見ないものだと思います。

維中前 バス停掲示

開通当時の新聞記事…

京阪宇治交通会社=本社宇治市=は十一日から宇治-大津市石山を結ぶ新路線に直通バスを運行する。
新路線は、既設の京阪宇治駅-岩山間を延長し、宇治市から岩山を経て猿丸神社-開拓村-鹿跳橋-南郷-石山寺-国鉄石山駅間の二十八・二キロを一時間十五分(百四十円)で走る。

京都新聞第一滋賀版 S37.11.10付


開通の翌日の同紙府下版には、開通式の写真とともに、ダイヤも記載されていました。

宇治発 7:40 9:30 11:45 13:50 16:30
石山発 10:17 12:07 14:25 16:27 19:05


所要時間の割に、折り返し発が遅い気がします。石山駅は今でも十分な土地がありませんが、この当時から交通が輻輳して問題化しており、何度か新聞記事にもなっているほどなので、留置しておくことはできないと思いますし、京阪バス大津営業所で休憩していたのでしょうか。大津営業所はこの翌年の4月に本宮町の現在の大津市民病院の辺りに移転するまで、追分にあったので、かなりの距離があると思いますが…。

因みに、石山線開通時、宇治川ラインは道路そのものがなく(昭和39年完成)、もちろん、宇治川ライン線は存在しませんでしたが、1965(昭和40)年に京阪バスと京阪宇治交通が路線免許を申請をしたことまでは分かっています。ただ、1977(昭和52)年3月21日に開通したことがはっきりしている京阪バスと違い、京阪宇治交通の宇治川ライン系統(後の90系統)の具体的な開通時期はよく分かりません。

石山線在りし日の懐かしい写真を、読者のまんたろう様からご提供頂きました。80年代、90年代という、ちょっと昔が意外に手が届きそうで届かないので、私も大変うれしかったです。ありがとうございます。

京22か2983

1989(平成元)年2月5日 石山駅にて撮影

かつての石山駅の雰囲気が懐かしいです。明確な乗り場がなく、バスは大体真ん中に停まるという雑然とした状態でした。

京22か3307

1988(昭和63)年4月17日 宵待橋-桜谷

個人的に大変好きな写真です。バスが今にもこちらに走ってきそうな臨場感と、宇治川ラインらしい道路のカーブがなんともいいバランスだと思います。更に、桜がきれいないい時期にうまいこと行かれたものです。平地ではもう終わっている頃ですね。この写真の撮影地メモを見るまで、「桜谷」なんていうバス停の存在も忘れてしまっていて、一瞬、大石の「桜谷パークタウン」を思い出してしまいました。

まんたろう様の写真は、まだあって、公開は認めて頂いているのですが、量がかなりあるので、今後どういった形でお出しするのがよいか、検討します。