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青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
(今日は交通関係の話はありません)

「♪トイレにはそれはそれはきれいな女神さまがいるんやで」という歌が流れる朝の情報番組のスタジオで、辛坊治郎 読売テレビ解説委員が、「初めて聴いた時、泣けて仕方なかった」と紹介しているその曲の、何がそんなに泣けるのか、誰の歌なのかも全く分からず、恐らく春だったその時は、出勤前のバタバタに紛れて深く気にも留めずにいました。

それでも、「トイレ」などという単語が出てくる、バラード調の歌というのはまあなかなかあるものではないので、記憶の片隅には残っていました。先日、車に乗っていて、たまたまラジオで流れたその曲を、ああ、半年前テレビでやっていたな、と思いながら聞いて数分、これはアカン、とラジオのスイッチを切りました。
嫌いだとか、合わないとかじゃないんです―――仕事でひとに会う前なのに、涙がこぼれそうになったから…。

家に帰って、植村花菜という川西出身のアーティストの「トイレの神様」という歌だと知って、ゆっくり聴くと、やっぱり泣けてしまいました。あまり歌詞の細かい内容を取り上げると、著作権の問題が生じかねないだけでなく、これから聴かれる方の楽しみがなくなるかもしれませんので、詳しくは書きませんが、辛坊氏の言っていたのはこういうことだったのか、と今更分かりました。
曲は10分ほどもあります。ポピュラー系統の曲としては極端に長いのですが、ある種の散文詩のような感じで、次にどうなるんだろう?と気になって、聴かずにいられなくなり、その長さが感じられませんでした。

ネットで見ていると、この歌が苦手、合わないという意見もあるようで、それはそれで全然いいと思いますし、冷静に考えれば、歌詞の流れ、構成は特に珍しいものではありませんが、私は、割と早く祖父母を亡くしているので、もっと思い出を作っておけばよかったな、と思う気持ちと重なったのでした。

本当に感謝したい相手は、往々にして、お礼を言う前に自分の前からいなくなってしまいますね―――

「京阪グループ共通バスカード」や「ピタパ」の導入で、すっかり影が薄くなった、紙式回数券ですが、大津管内では健在で、昼間割引回数券と、一般の回数券を時間帯によって使い分けているひとも珍しくありません。

この、昼間割引回数券は、1977(昭和52)年10月7日、33年前の今日、が誕生します。10月1日付で取り上げた1983(昭和58)年の運賃改定の時は、特別定期券と学期定期券が導入されたわけですが、昼間割引回数券導入も、運賃改定をきっかけに行われています。バスが交通の主役から押しのけられつつある苦しい時代ですね。だからこそ、日中の空いている時間にもっと乗ってもらおう、という意図なのでしょう。

この時の運賃改定も、1983年同様、7月には既に話題となっていて、もともと9月に行われる予定だったようです。

4社(引用者注 近江、滋賀、江若、帝産)の申請によると、特殊区間制を採用している大津市内(瀬田大江―際川間)では、現行の一区八十円、一区増すごとに二十円加算の運賃を五十三年九月末までは一区九十円、五十三年十月一日からは一区百円、一区増すごとに二十円加算にそれぞれアップする。

産経新聞1977(昭和52)年7月19日付滋賀ニュース



「瀬田大江―際川」と区間が示されているのは珍しいです。実際、確かに現在もこの通りになっているので、京阪バスが運賃を改定すると、大江や際川など、現在、京阪バスの路線がない地域も、運賃を改定せざるを得なくなると思います。京阪バスは、滋賀県に本社がある4社に比べて遅い申請だったようです。

因みに、53年の運賃改定は結局実施されず、54年になりました。

新聞記事では昼間割引回数券についてほとんど触れられていませんでしたが、上記の記事の続きに、「割引率の高い回数券を新たに発売する」とあり、それが本券のことだろうと思います。

私が知る限り、なぜか南郷、大石方面のバスでは、この券の広告アナウンスがなくて、石山寺経由石山団地行きに乗ると、石山寺山門前にさしかかるところで、
「10時から16時の降車時には、便利でお得な、昼間割引回数券をご利用下さい」
というアナウンスが流れます。

割引率は、「京阪グループ共通バスカード」の昼間用の方が高いですが、決定的に違うのは、「10時から16時」の利用可能時間が、降車時基準か、乗車時基準か、ということですね。
先述のアナウンスの通り、紙券は降車時を基準にするしかありませんが、カードは逆に乗車時基準ですね。
なので、カード化されても、例えば10時前に乗って、10時過ぎに降りる、というような場合には、紙券の活躍の場面が残る?????なんて思ったりします。

写真は、対キロ区間制区間や、京都市均一区間など、利用できない区間を示した表紙の裏。

このもう少し前の版には、「八戸ノ里駅」なども載っていました。

昼間割引券表紙
先日、緑一色の113系を初めてまともに見ました。
前はすれ違いざまで、本を読んでいる視界の隅の方を、緑色一色が横切って行ったので、今のは幻か?と思ったのでした。
中国地方は黄色一色塗装ですが、何とも言えず違和感があります。一色だと、ディーゼルカーのようにも見えます。
103系や201系の1色は違和感がなく、むしろ山陽色とか、塗り分けられている姿にはなかなかなじめなかったのですが、これは、固定観念によるものなのか、形状なども多少関係あるものなのか、どうなのでしょう。

緑の113系
(昨日の続きになります)

コンサート終了後、普段は入れない演奏台に上がることができました。

新島記念講堂オルガン上

欧米では「オルガン」というだけでパイプオルガンを指すくらい、特に珍しいものではないようですが、日本人にとっては、やっぱりこのパイプが特徴的なので、「パイプオルガン」と言わないと、幼稚園とかの足踏み式オルガンをイメージしてしまいますよねw

パイプオルガン鍵盤

少しだけ鍵盤に触りましたが、ピアノよりずっとタッチが軽いです。ピアノを弾き慣れているひとにとっては、頼りなく感じられるかもしれません。逆に言うと、ピアノのように、タッチの強弱で音の大きさや伸びなど、微妙なコントロールをすることはできません。

その代わり、左右の「ストップ」と呼ばれるつまみで、空気の出入りする量を調節して、音色を変えます。なので、どうやってこんな不思議な音を出すのだろう?今鳴っているのは別の楽器ではないの?というようなことがしばしばあります。1人ではその調整をとっさにはできないので、助手が必要になります。

この写真には写りませんでしたが、昨日のyou tubeの動画でもお気づきになった方いらっしゃいますでしょうか?
オルガンの演奏の際に座る椅子には、ピアノで一般的に使う椅子と違って、背もたれがありません。はっきりした理由はよく分かりませんが、多分、足も自由に動かさないといけないから、もたれたりする余裕がないのだと思います。従って、腰で体を全て支え続けないといけないので、私のピアノの先生が言うに、オルガン奏者は腰痛持ちが多い(>_<)そうです。確かに、そう思ってyou tubeのオルガン演奏を見ると、腰が痛そうに見えてきます。
私も数年前、腰をいわしたから、オルガンはできひんわw(いやいや、それ以前の問題が……)

秋元道雄というオルガニストが、こんなことを書いています。

オルガンの鍵盤はピアノのように強弱のタッチで表現ができません(中略)そのためオルガンの鍵盤のタッチは、ピアノとは全く異なった演奏法が要求されます。
 しかしオルガンの演奏技法のためには必ずピアノ技法のある程度を習得していることが要求されます。バッハの二声と三声のインヴェンションくらいは上手に演奏できなければならず専門家を養成する音楽大学ではバッハの平均律曲集がよく課題曲になっています。

(メトリーズ音楽教育センター編『月刊ショパン別冊 音楽ライフ・音楽コースQ&A』株式会社ショパン P98 1986)



はい、とても無理です(@_@;)
まあ、オルガンに限らず、芸大・音大に入ろうと思えば、よほど理論を専攻するとかでない限り、ピアノはできることが大前提ですね。

今回のコンサートの演奏者、高橋聖子(たかはしきよこ)氏は、
「最近は若いひとで、オルガン奏者を志すひとが減っているので、皆さんの周囲の若い方に、ぜひオルガンを勧めて下さい」
という意味のことをおっしゃっていたので、ちょっとショックを受けました。楽器というより、生き物のような、建造物のようなその巨体を操れる人が減って、「絶滅」に瀕するなんて、信じられません。
これを読まれた、鍵盤楽器の基礎的な素養のある、腰に自信のあるそこの若いあなた!是非、オルガンをやってみて下さい。ピアノより競争率が低いし、1人であの巨大な楽器にかじりついてコントロールするなんて、絶対かっこいいと思います。


(今日は交通関係の話はほとんどありません)

昨日、田辺の同志社女子大で、無料のパイプオルガンコンサートがあったので、行ってきました。正直、「無料」というのは大きな魅力(普通5,000円前後はしますから)ですが、大好きな、「幻想曲とフーガト短調 BWV542」が曲目に入っていたので、これは行くしかない、と思ったのです。

高橋聖子 コンサートプログラム

演奏者は、同大学学芸学部音楽学科オルガン専攻卒の高橋聖子(たかはしきよこ)氏。「オルガン専攻」というのは、ピアノや声楽と違って、どこの芸大音大にでもあるものではありませんね。

京都駅から近鉄京都線の急行と普通を乗り継いで約30分、興戸駅は、のどかな田園の中にありました。
そこからキャンパスまで10分ほどの歩き。いい天気で、高台まで登りなので、汗ばみました。

JRの同志社前駅の方が距離的には近いですね。今年3月のダイヤ改正で、折り返し専用ホームが使われなくなったので、レールがもう錆びています。架線もありません。こういう線路、大好きです(爆)
写真を撮ったんですが、フェンス越しだったので、何だかフェンスを撮ったみたいな感じになってしまったので、ここに出すのはやめます(涙)

私立はすごいですね、敷地内に段差が多いため、エスカレーター完備。でも学生は若いんだから歩いた方がいいような…オッサンのおせっかい?

同女エスカレータ

ここが会場の新島記念講堂。かなり引かないと全体が写らない規模。

新島記念講堂全景

中に入ると…
同志社女子大学や同志社国際高等学校の礼拝に使われるホールなので、オルガンそのものは席の後ろ側にあります。大阪の「いずみホール」など、オルガンが前にある一般的なホールに慣れていると、不思議な感じがします。後ろから音が聞こえると、立ち上がって歌わないといけないような気分になるんです。

新島記念講堂オルガン下から
(最後の見学会の時に撮ったものなので、ひとが並んでいますが、もちろん、通常は公開されていません)

さすが同志社!座席の後ろに白く写っているのは全て讃美歌集と聖書!同志社自体はプロテスタント系ですが、聖書は新共同訳(カトリックとプロテスタント、どちらでも使えるよう、共同で翻訳した聖書)でした。

新島記念講堂

ホール全体で900席以上あるし、聖書はこの大きさだとたぶん2,000円~3,000円するから……用意するのは大変ですね。失礼しました。罰当たりなことを考えていないで、たまには聖書を読みましょう、と開演を待つ間にパッと開くと、有名な黄金律…。

「だから、何事でも、人から自分にしてもらいたいと望むことを、人にもしてあげなさい」(新約聖書『マタイによる福音書』第7章12節)
※新共同訳の一言一句をメモしたわけではないので、手元の聖書の同じ部分を引用


はい、耳が痛いです…(苦笑)。

そして、期待膨らむ中、演奏会はスタート。
演奏者・高橋氏自らおっしゃっていた通り、バロック向きの穏やかな、しかし迫力のあるいい音色です。さっきも書きましたように、後ろからの音、というのが不思議な感じですが、慣れて来るとその音に包みこまれるような気分になります。オルガンは他の楽器以上に楽器ごとの「個体差」が大きく、場所が違えば同じ曲でも違って聞こえることがしばしばですし、また、私は、オルガンは他のどの楽器と比べても、ライブとCDなどの録音との差が大きい楽器だと思っています。大きすぎるくらい大きな、でも不快ではない音で、体全体に響いてくるのを体験しないと、本当の良さは分からないと思います。

それを、ここでお伝えできないのが残念ですが、BWV542の後半、「フーガ」の部分のyou tubeで、手足の動きも分かりやすいものがありましたので、引用させて頂きます。こんな曲です。



中学校の音楽で、「小フーガ ト短調」BWV578(というのを聴かれた方も多いと思うのですが、同じト短調で、より長く、規模が大きいこのBWV542のフーガを「大フーガ」として、「小」と呼ばれています。
「フーガ」は、同じ主題が、手を変え品を変え繰り返し、うまく絡み合っていくタイプの対位法の曲ですが、中学の時に「小フーガ」を聴いて、その音楽の渦の中に巻き込まれていくような感覚がすぐに好きになってしまいました。

オランダ民謡を基にした主題が、現れ、一方が終わりかけたと思うと、次が始まり、ということを繰り返し、結局、4つの声部が現れます。これを、両手両足で表現します。you tubeを見て頂くと分かるのですが、3回目のメロディが現れても、足は使いません。腕は2本しかありませんが、それで3つのメロディを弾いているのです。
一番低いメロディで、初めて足を使います。

因みに、この曲を、リストやカツァリスがピアノ用に編曲しているのですが(リスト編曲譜例↓写真)、その場合は、足がありませんので、両手だけで4つのメロディを弾き分けます。手の外側(小指や薬指)と、内側(親指や人差指)とで、タッチの仕方を変えたりして、腕2本で、腕3、4本あるかのように聴かせるそうです。両手で弾くのに毎日苦労している私にとっては、神業としか言いようがありません。
それでも楽譜を手に入れたのは、見ながら聴くのが好きだからですw

BWV542ピアノ譜

力強い終焉で、ああやっぱりこの曲が好きだな、ピアノ版が弾けるようになるには、あと何十年精進しないといけないのかな?と、心地よい絶望感?に浸りました。
後半はちょっとシュールなメシアン、そしてアンコールはこれまた有名な「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」BWV639で、静かにコンサートは終わりました。たまにはこういう時間もないといけませんね。

オルガンのすぐそばで撮った写真もあるのですが、今日はもう十分長いので、また明日にします。
10月1日というのは、区切りがよいせいか、京阪バス関係でもいろいろなことがあったようで、1965(昭和40)年以降の京滋地区だけでも、ざっと見る限り、

1966(昭和41)年  びわ湖競艇場無料送迎バス 傭車契約締結
1971(昭和47)年  運賃改定
1976(昭和51)年  京都市域共通回数券発売開始 
1983(昭和58)年  運賃改定、京滋地区に特別定期券導入
1985(昭和60)年  大津観光一日乗車券発売開始
1987(昭和62)年  運賃改定
1991(平成3)年   運賃改定、大津市域共通回数券制度実施
1993(平成5)年   運賃改定
2001(平成13)年  13号経路(国道・湖岸連絡系統)開設


といった具合です。
今回は、1983年10月1日にスポットを当てようと思います。

この時の運賃改定は、既に7月から取りざたされており(読売、産経7月2日付)、京阪バス以外の民営4社(近江、帝産、滋賀、江若)が先に申請し、京阪バスが少し遅れたようです(産経、京都7月7日付)。

今読んでいて分かったのですが、特別定期券の他、今は常識となった、通学用の学期定期券もこの時から発売となったようです。この当時は2-3年ごとに値上げが繰り返されていたので、その度に、少しでも割安感や、便利さをアピールしようと、付随していろいろ新しい試みを実施していることが窺えます。

京阪バス特殊1区間は130円⇒140円にアップ。それでも今の目で見れば、まだまだ安いですね。新聞で例示される区間も、時代を感じさせます。

主な路線の申請運賃は次の通り。(カッコ内は現行)
国鉄石山駅-石山団地百四十円(百三十円)▽浜大津-京都・四条烏丸百八十円(百七十円)▽西大津駅-大石小前二百二十円(二百十円)

(産経新聞7月7日付)


石山駅-石山団地は分かるのですが、京津国道線がまだ「主な路線」とされています。
西大津駅(大津京駅)から大石小学校が220円!5区の運賃が、現在の1区の運賃に当たるということですね。
この当時のダイヤは恐らく、日中1時間に1回か2回、西大津駅発国道経由大石小学校行き(28号経路)があり、逆に大石小学校始発は、1回を除いてすべて浜大津行き(26号経路)だったと思います。

そして更に、

定期券と回数券の中間的な性格の「特別定期券」を新設。これは、特殊一区間で月五十二回乗車できるもので、一カ月五千百円(三割引)となっている

(産経新聞7月7日付)



私の印象でしかありませんが、大津は他地区に比べ、これがよく普及している気がします。今は50枚つづりですね。

一カ月に二十六日通勤するサラリーマンらがこれを利用すれば、通常の一カ月定期5880円よりちょっぴり割安と、きめ細かいサービスをする
(京都新聞7月7日付)



26日!?そうか、まだ週休2日がそれほど一般的でなかったんですね。今はだいたい20から、多くて23日ですね。26日も仕事なんて、厳しいなあ…。
今は出勤日数が少なくなり、余りがちですが、それでも、特殊1区間であるなら、割安な6カ月定期券と比較しても、通勤定期券より安いです。また、券面の表示地区に左右される通勤、通学の地区定期券と違って、大津市内特殊1区間なら、江若交通の県庁前-際川間も含め、全て通用するので、普段は石山駅-南郷間でしか使わないひとも、浜大津に用事があったら、石山駅から浜大津までの間で使ったりすることが可能、といったメリットがあります。


特別定期券  特別定期副券  学期定期

写真 左から 特別定期券表紙、副券、学期定期券 (画像を一部加工しております)

特別定期券は、表紙を見せて、副券を入れる、というルールで、数年前からこれをはっきりさせるため、
「特別定期券をご利用の際は、必ず表紙をお示しの上、副券を、運賃箱にご投入下さい」
というアナウンスが流れていました。今は、「特別定期券をご利用の際は、表紙をお示しください」と簡略化されています。どういう規則性があるのかよく分かりませんが、時々表紙と副券の色が変わります。大津は緑か青しかなかったのでは?と思いますが、違う色をご存知の方、お知らせください。

また、学期定期券の方ですが、かつては、学期定期券に限らず、地区定期券はこのように、地区範囲図が券面に示されていました。