青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
におの浜三丁目 におのはまさんちょうめ
所在地:大津市におの浜三丁目
開設年月日:2001(平成13)年10月1日
廃止年月日:2006(平成18)年7月1日
付近:滋賀県信用保証協会 マックスバリュー膳所店 アヤハレークサイドホテル
キロ程:なぎさのプロムナードから0.4キロ


「におの浜」というのは1968(昭和43)年12月25日に埋立地につけられた新しい町名です。琵琶湖の別称「鳰(にお)の海」に由来します(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P765)。「鳰」は「野洲のおっさん」などのキャラクターでも有名な滋賀県の県鳥「カイツブリ」のことです。



「におの浜」の行政地名が付けられた初めてで、唯一のバス停はこの「におの浜三丁目」でした。

↓バス停があった当時の、匿名希望様から頂いた写真です。

におの浜三丁目


↓現在。
[におの浜三丁目【大津市内総合線 大津北地区以北他3】]の続きを読む
スポンサーサイト
京都今津線から連続する流れが京津国道線につながって長い特集が終わってしまい、さあ、これから何をしようかとぽっかり穴が空いてしまったような気がしますが、実は昨年は京津国道線の東半分が失われてから10年目であるとともに、市内北部の路線の多くと旧13号経路(国道・湖岸連絡系統)が廃止となってから10年目でもありました。

去年は京津国道線だけで精一杯になってしまいましたが、比叡山線以外の定期一般路線の北限の大きな後退は、やはり重大な出来事ですので、本日からは2006(平成18)年7月1日で廃止されたこれらの路線を中心に取り上げていきたいと思います。

取り上げ方を迷ったのですが、南から北に向かう方が話が進めやすいので、先に旧13号経路から取り上げていきたいと思います。

他の路線と重なるところについてはその項をご参照頂き、13号経路単独の停留所であった、「平野市民センター」、「におの浜三丁目」、及びなぎさ公園線とは乗場が異なっていた「びわ湖ホール」の3カ所を取り上げたいと思います。

平野市民センター ひらのしみんせんたー
所在地:大津市打出浜
開設年月日:2001(平成13)年10月1日
廃止年月日:2006(平成18)年7月1日
付近:平野市民センター(大津市役所平野支所・大津市立平野公民館) 大津市立平野幼稚園 義仲寺
キロ程:市民病院玄関前から0.5キロ




大津市内で37か所も市民センターがあるのに意外ですが京阪バスでは唯一、「市民センター」がバス停名となったケースでした。(かつて「石山市民センター前」という副停留所名があった野々宮を除く)

ここは幸い、私が最終運行日である2006(平成18)年に両方のバス停の写真を撮っていました。

↓大津署前・びわ湖ホール方面(上が最終運行日、下が2014年11月)

00000576.jpg

IMG_5833.jpg

↓国道から石山駅方面
[平野市民センター【大津市内総合線 大津北地区以北他1】]の続きを読む
滋賀マツダ前 しがまつだまえ
所在地:(石山駅方面)大津市馬場二丁目 (浜大津方面)大津市竜が丘
開設年月日:不明
改称年月日:不明 (馬場⇒滋賀マツダ前?)
付近:京滋マツダ(旧滋賀マツダ)大津店 大津市立やまびこ総合支援センター セレマ大津シティホール 関西アーバン銀行竜が丘支店 コープしが膳所店(2014年10月21日~2015年春新築のため休業中) JR膳所駅 竜が丘俳人墓地
キロ程:国道膳所から0.3キロ
 



移転や名称変更が比較的少ない学校などの公的機関に比べ、いつ移転したりなくなったりするか分からない民間企業の名称をつけることがあまりない京阪バスの中で、ここは例外的に民間企業名、それも東レのような大規模な工場でもなく、ただの販売店なのにバス停名に採用されているのは極めて異例だろうと思います。全国レベルで見てもそうはないだろうと思います。
他にも国道沿いはディーラーがたくさんあるのになぜここだけがバス停名に採用されているのかはよく分かりません。何らかの広告料でも発生しているのでしょうか?

「滋賀マツダ」というのは実は旧称で、2003(平成15)年に㈱マツダアンフィニ京都と合併して、現在は「株式会社京滋マツダ」の大津店ということになっています。

↓取材を行った2014(平成26)年11月現在は工事中で、奥の仮店舗で営業しているようでした。

IMG_5805.jpg

同社の公式HPによると、1951(昭和26)年に前身である「㈱滋賀マツダモータース」が上百石町に開店、1961(昭和36)年、現在地である大津市竜が丘に本社工場を新築し、湖東マツダ販売など、別のマツダ系の販売会社と合併し、「滋賀マツダ」になったのは1982(昭和57)年と比較的最近です。
しかし、バス停名はそれ以前から「滋賀マツダ前」のようです。
1961(昭和36)年以前がどういう名称だったのか、そもそもバス停があったのかということもよく分かりませんが、ただ、1954(昭和29)年の路線申請時の図面で、このバス停と最も近い位置関係にあるのは「馬場」というバス停です。これについては後ほど触れます。

比較的ポールの移動などの変化が多い国道1号線にあって珍しく、少なくとも1983(昭和58)年頃からの約30年ほどはどうもほとんど位置が変わっていないらしいバス停です。

↓石山駅方面全景
[滋賀マツダ前 【大津市内総合線 国道系統8】]の続きを読む
国道膳所 こくどうぜぜ
所在地:(浜大津方面)大津市湖城が丘 (石山駅方面)大津市馬場三丁目
開設年月日:1950(昭和25)年頃?
付近:
キロ程:湖城が丘から0.5キロ




国道沿いで一番地味なバス停、というか、私の記憶から零れ落ちていたバス停です。
何年も前に、どのバス停もタイトル(バス停名)だけ入力していたのに、ここだけないことに気づいて、作り直しました。
付近に特に目立つ施設もありません。

旧東海道沿いにバスがあったことを思うと、この「国道膳所」と「国道」を冠する停留所名もより一層納得です。

↓浜大津方面のバス停は、少なくともここ30年ほどはこの位置で変わっていないようです。

IMG_5776_20141206231346993.jpg

↓浜大津方面のバス停から浜大津方面を望むと、右手に「マツダオートザム」の大津店が見えますが、バス停の「滋賀マツダ前」の「滋賀マツダ」とは、「京滋マツダ販売」の大津店のことで、こことは別です。
[国道膳所【大津市内総合線 国道系統7】]の続きを読む
雲雀ケ丘 ひばりがおか
所在地:(浜大津方面)大津市秋葉台 (石山駅方面)大津市中庄二丁目
開設年月日:不明
付近:茶臼山公園・茶臼山古墳 公営住宅秋葉台団地 雲雀ケ丘自治会館 社会福祉法人美輪湖の家 更生保護法人滋賀好喜会光風寮 
キロ程:滋賀病院前から0.3キロ




この辺まで行くともう私にとってはかなり縁が薄く、精神的な距離も出てくるため、今も「大津市雲雀ケ丘」という町名があると思い込んで『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』(1979)を調べてしまい、見つからなくて、困っていました。結局「膳所雲雀丘町」として記載を見つけました。
1967(昭和42)年まではバス停のある辺りを含む、中庄二丁目、秋葉台、富士見台も「膳所雲雀丘町」の一部だったようですが、住宅が増加したため住居表示制の施行によって、現在は山手の山林だけになっています。バス停だけが取り残された格好です。

もともとは膳所中ノ庄町小字西台雀ヶ谷町(にしだいすずめがやちょう)という長い地名でした。雀ヶ谷とは江戸時代から膳所城周辺で見られる地名で、壬申の乱で敗れた大友皇子が、味方に「進め進め」と命令した「進めヶ谷」が転じた、とされています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P420)。1951(昭和26)年に膳所雲雀丘町となっています。
[雲雀ケ丘【大津市内総合線 国道系統5】]の続きを読む
※本来、前回の末尾に書きました通り、雲雀ケ丘を先に取り上げるべきでしたが、記事の投稿設定を誤っており、湖城が丘が先になってしまいました。 記事UPから10時間以上経って気づき、今更取り下げて順序を変えられないので、雲雀ケ丘は次回改めて取り上げることに致します。
 悪しからずご了承のほどお願い申し上げます。申し訳ありませんでした。

湖城が丘 こじょうがおか
所在地:(浜大津方面)大津市湖城が丘
    (石山方面)大津市相模町
開設年月日:不明
改称年月日:不明(大津市立病院⇒膳所平尾町⇒湖城が丘)
付近:滋賀県接骨会館 (現在ないもの)大津市立病院(大津市民病院)
キロ程:雲雀ケ丘から0.6キロ




「湖城が丘」の地名は比較的新しいもので、1967(昭和42)年4月1日に、膳所池ノ内町の一部を住居表示制の施行時に分離させ、「湖城」(=琵琶湖文化館)を望む丘に位置する丘、という意味合いで「湖城が丘」と命名されたことに始まります(『角川日本地名大辞典 25滋賀県』P758)。

IMG_5768_20141206220810608.jpg

この点、元を辿ると古代史にまでルーツが遡れる隣の雲雀ケ丘とは一味違います。しかし、現在正式な行政地名となっているのは「湖城が丘」の方です。

昭和40年代の地図で、このバス停は「膳所平尾町」と記載されております。現在の膳所平尾町は、名神高速道路より山手のほんの小さな一角にすぎませんが、この当時は国道付近まで膳所平尾町でした。

[湖城が丘【大津市内総合線 国道系統6】]の続きを読む
滋賀病院 しがびょういん
所在地:大津市富士見台
開設年月日:1962(昭和37)年12月30日
廃止年月日:不明
付近:地域医療機能推進機構滋賀病院 滋賀病院附属介護老人保健施設サンビューしが 富士見台一区自治会館 大津酒販協同組合 
キロ程:国道滋賀病院から0.3キロ




滋賀病院は、1953(昭和28)年5月1日に開院し、2014(平成26)年4月1日から、「地域医療機能推進機構滋賀病院」となりました。
大津日赤病院、大津市民病院、滋賀医大附属病院とともに、大津市を代表する総合病院の1つです。

IMG_5708.jpg

県立でも市立でもないし、経営母体は一体何なのかよく分からない病院ですが、もともと社会保険庁が設置し、財団法人滋賀県社会保険協会が経営を受託していたようです。現在は独立行政法人の運営です。
[滋賀病院 【大津市内総合線 国道経由系統 番外1】]の続きを読む
滋賀病院前 しがびょういんまえ
所在地:(浜大津方面)大津市富士見台 (石山駅方面)大津市別保三丁目
開設年月日:不明
改称年月日:不明(保険病院前→国道滋賀病院→滋賀病院前)
付近:地域医療機能推進機構滋賀病院
キロ程:上別保から0.2キロ




以前は、滋賀病院の構内のバス停に対し、国道側のバス停を「国道滋賀病院」と呼んでいたと思うのですが、いつの間にか「滋賀病院前」になりました。
1964(昭和39)年現在の路線図では「保険病院前」とされていて、「滋賀病院前」という停留所はまた別に、病院の前に設置されていることになっています。

このバス停の浜大津方面行用のポールは、1968(昭和43)年3月10日付京都新聞滋賀版で、京阪バスではなかろうかと思われるバスの写真とともに、「立地条件の悪い危険なバス停」の代表のように扱われています。

ここでは横断歩道のわずか一メートル手前にバス停があり、交通量も多いので、歩行者は非常に危険な状態。また、定期バスが止まるたびに、交通停滞を起こしている。このためバス業者も以前から停留所の移転を検討しているが、適当な移転先がみつからないので困っているという。



[滋賀病院前(国道滋賀病院) 【大津市内総合線 国道系統4】]の続きを読む
上別保 かみべっぽ
所在地:(浜大津方面)大津市富士見台 (石山駅方面)大津市別保三丁目
開設年月日:1950(昭和25)年前後?
付近:大津富士見台郵便局 大津給食センター 関西電力膳所変電所
キロ程:東レ北門前から0.6キロ




木ノ下町、西ノ庄などとともに、膳所城下町5ヵ村の1つとされる別保は、中世「粟津別保(あわづのべっぽ)」があったために「別保」と呼ばれるようになったということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』 P623)。ではこの「別保」とは何かというのが分かりません。そこが知りたいのに、何だかこの地名辞典はそういう由来には弱くて、歴史的な事実や地理的な特質についての記述ばかり目立ちます。

仕方ないので辞書を見ると「保」は「荘園」を表す「荘」と共に中世の行政単位です。大津市には他にも、大津百町の中に「北保町」「南保町」があります。

その別保の中でもここは1933(昭和8)年の膳所町・大津市合併時から1964(昭和39)年まで「膳所上別保町」の範囲だった地域のため、「上別保」の停留所名となったようです。

余談ですが、東レの敷地が大半を占める「大津市園山一~二丁目」の「園山」や、帝産バスの「焼野」はもともと別保の中の小字だということです(同書P623)。

別保には国分の幻住庵を1705(宝永2)年に移築したその名も「幻住庵」があり、同書では芭蕉門弟の菅沼曲翠(曲水 1659-1717)が移築し、芭蕉の肖像画、古額などが秘蔵されている尼寺と紹介しています(P767)。

IMG_1020.jpg

IMG_1021.jpg

東レから歩くのも結構遠いです。途中、「ユーポス」でみたキティちゃんと…仲間たち?↓
[上別保【大津市内総合線 国道系統3】]の続きを読む
前回に続き御殿が浜、今回は浜大津方面などを取り上げます。

↓浜大津方面のポール

IMG_1098.jpg

浜大津方面のポールは、1998(平成10)年版の住宅地図までは、旧大津玉姫殿(現・NIHO)の建物の西北の端、浜大津寄りのこの辺りにありましたが、それ以降現在地に移転したようです。

IMG_1095.jpg
[御殿ヶ浜【大津市内総合線 湖岸系統17-2】]の続きを読む