青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
その寒さと不便さからしばしば「関西のシベリア」「関西のチベット」と言われてきた信楽ですが、1962(昭和37)年5月1日は、以下の記事にもある通り、文字通り信楽の交通の夜明けでした。

↓1962(昭和37)年5月2日朝日新聞滋賀版

S37.5.2A 湖南交通信楽‐京都線開通 信楽線ディーゼルカー入線b

↓こちらは1962(昭和37)年5月2日付滋賀日日新聞
[「信楽案内所」発着便廃止②]の続きを読む
スポンサーサイト
石山駅前で、この掲示をご覧になった方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

IMG_0190.jpg

あまり帝産の動きを知らなかったんですが、いつの間にか晩には少しあった信楽行きの直通便がなくなっていたようです。そして今回8月1日のダイヤ改定で、信楽案内所発着の便が一切なくなり、信楽駅発着に改められました。信楽と石山を直通する便も完全になくなりました。

以前から、通常「信楽行き」とアナウンスされ、行き先表示も単に「信楽」でしたが、その「信楽」がどこなのか自体あまり意識したことがなく、少なくとも「信楽駅」ではないらしいということだけは何となく知っていたという状況で、今回の廃止は、歴史的な一大事だろうと思い、恐らく20年以上ぶりに信楽に出向きました。

大津市内から信楽に行くためには、新名神高速道路を別にすれば、帝産バスが通る県道16号線大津信楽線か、曽て国鉄(JR)バスが通り、今は信楽高原バスが通る国道422号線の2つが一般的なルートでしょう。

今回は国道422号線を経由しました。
[「信楽案内所」発着便廃止①]の続きを読む
50年前の今日、1962(昭和37)年5月1日、湖南交通(翌年から帝産湖南交通)の信楽(しがらき)線が、石山駅を越えて京都方面に乗り入れを果たします。

著作権法の関係で、新聞記事は来年以降でないとそのままをUPできませんが、ポイントを簡単に引用するとともに、読者の方から頂いた写真や資料をUPさせて頂きます。

↓こちらは恐らく土日祝日のみ運転となるダイヤ改正の前の最後のダイヤ改正の時刻表ではなかろうかと思われます。

ssScan1638.jpg

そういえば、ある時から「河原町御池行き」でなく、「三条大橋東詰」行きになりましたね。今、京都バスの大原行きが着いているバス停に発着していたことが、上の図で分かります。
[帝産バス 信楽線 京都乗り入れ50年]の続きを読む
前々回に続き、帝産の話題です。頂いたコメントと、それに対する私のレスとを再構成しながら、進めて参ります。

K2様のコメントより

> ②「湖南高校」行きは字の色が赤字でした。同じパターンで「湖南アルプス」という幕がありましたが、実際に使われたシーンはみたことがありません。どういう場面で使ったのでしょうね。

湖南高校は特定輸送で、①②③……といくつかのコースがあったように記憶しています。
またどこかで詳しく書きますが、京阪バスの石山団地系統が、昭和40年代初めはあまりに本数が少なくて、住民の猛烈な批判が営業所に殺到しており、当時既に湖南高校の特定輸送を行っていた帝産バスが、「うちで石山団地の路線を運行しようか」と検討を始めたほどだったそうです。
湖南アルプスの同様の幕の存在は知りませんでした。

>アルプス登山口行きってありましたよね。

とも書いて下さっていますが、もちろん、現在もあります。

ssIMG_6437.jpg

現在はどちらかというと、登山口近くまで開発された「もみじが丘」の通勤路線ですね。

>そこで郵便貯金通帳を拾い、交番に届けました。お礼の手紙か、お金が届くかとワクワクしましたがなにもなく、子供心に傷ついた気折があります。(額面は千円でした。)

やっぱりそういうちょっとした一言って大事ですね。気に入っても、入らなくても、何でも黙っていて、ちゃんと面と向かってコミュニケーションを取ろうとしないひとが最近多いような気がします。

>そのころ、帝産の料金表示器はすでにデジタル式で、幕式だった京阪に比べ、進んでいると思いました。どうした京阪!でも、帝産バスは路線の距離が長いので当然だったのでしょうか。

距離が長いというか、対キロ制で整理券が多かったからでしょうね。近江も、車両は80-90年代は京阪より数年-10年くらいは更新が遅れているように見えましたが、運賃表はデジタルでしたね。

それどころか帝産はもう、LCD画面を入れている車両があります↓帝産バスに乗ったのは人生の中でも本当に片手の指で数えられるほどの回数なので、もちろん、中で画面を見たことはありませんが、すごい高機能のようです。
京阪も、ICカード導入を機に、やればよかったのに、と思うのですが。 

ssIMG_6680.jpg

[ツバメの巣のある石山駅前]の続きを読む
◆お知らせ

パソコンの不調のため、細かい編集ができない状態になっており、コメントのレスが最近できておりませんでしたが、先日無事に修理から返ってきましたので、新規の編集を再開します。ご迷惑をおかけしました。
 
            §            §

「パル」の話から、帝産バスの話に発展して、コメント欄が意外に盛り上がりました。情報をご提供下さっている、ひえい様、K2様、滋賀は第二の故郷様、ありがとうございます。

K2様への私からのコメントレスを、いったん削除して、滋賀は第二の故郷様のコメントへのレスも含めてまとめなおし、予定を変更し、6月24日付の記事でのお知らせ通り、臨時の記事を1回挟み込みます。

京阪や近江でも資料、情報は十分ではありませんが、帝産は更に極端に資料がなくて、新聞で華々しく取り上げられるのは、せいぜい1962(昭和37)年の京都-信楽間の開通くらいで、あとはたまに牧口(現 大津市牧2丁目)から信楽の黄瀬(きのせ)にかけての、あの危ない県道16号線で事故が発生したとか、そんなことがほとんどです。

↓信楽駅付近が欠けてしまっていますが、ほぼ帝産の石山駅-信楽線のルートです。(一見新名神を経由しているように見えますが、「詳しい地図を見る」をクリックすると、ちゃんとしたルートが出ます)




あの道はいつ落石があるか分からないし、離合もままならない場所があって今でも通りたくないのに、昭和37年なんて、どんな道だったんでしょう?石山-信楽間の路線は更に前からあるはずだし…。

と思っていたら、滋賀は第二の故郷様が、1964(昭和39)年から1965(昭和40)年頃に、河原町御池から信楽行きのバスに乗った経験を書いて下さり、唐橋を過ぎた辺りから未舗装だった、と証言して下さいました。やっぱりそうなんですね。

お祖母様の、
「大戸川沿いで土砂崩れがあり、京都から乗ってきたバスを降りて、雨のなか土砂崩れ現場を歩いて、信楽側から迎えに来たバスに乗り換えて終点まで行った」
という体験談もすごいですね!今なら、絶対そんな場所、一般人を歩かせるなんて言うことあり得ないですよね!

作家で元日本財団会長の曽野綾子が、遂にどの本だったか突き止められませんでしたが、恐らく『昼寝するお化け』(小学館)、『地球の片隅の物語』(PHP研究所)とかのシリーズで、最近の若いひとたちは、地面は最初から舗装されていると思っている、なんて書いているのを10年以上前に読んだのを思い出しました。いや、そんなことはないけど…と苦笑しましたが、頭では分かっていても、改めて当時を知っている方のお話を聞いたり、you tubeなどで昔のニュース動画を見たりすると、舗装されていない、という現実の重さ、大変さが、今までよりは少し実感として分かってきます。

また、滋賀は第二の故郷様のこのコメントは、京都からの需要がちゃんとあったのだということもよく分かる、利用の好例とも言えましょう。


実は、私はほとんど全く帝産バスを撮ったことがありません。今回の記事の編集に当たり、初めてまともに帝産バスを中心的な被写体として撮影しました。

↓信楽行き

ssIMG_6435.jpg

ssIMG_6436.jpg
[帝産湖南交通 石山・信楽線]の続きを読む
帝産湖南交通のバス停の路線図を見て目立つのは、何といっても、「日電前」「都築紡」「大津署前」と書かれた石山駅より北の点線部分。休止路線でしょうか?特定輸送でしょうか?

ssIMG_3522.jpg

当該部分拡大↓

[日電前 都築紡 大津署前]の続きを読む