青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
↓補助席があるB車の車内。比叡平で撮影。山科B-190×だったと思います。

Scan0268.jpg

B車でも最近は、不必要と判断されると補助席を撤去しているケースがままありますが、貸切運用等を考えてか、山科管内の比叡山線、山科急行用のB車各車や、大津のB車はそのままになっていて、場合によっては勝手に使えないように補助席を覆うカバーが取り付けられていることもあるようです。

いつか、秋の比叡山に行った時、僅かな本数のバスに乗客が殺到し、何人かの客が補助席を勝手に使い始めたものだから、乗務員やバス停にいた係員が、「補助席に座らないで下さい」と宣(のたま)うなんていう場面がありました。ちゃんと臨時を出す手はずを整えておかないと、商機を逸してしまうばかりでなく、あんな急坂で立ち客満載で、万一ブレーキが利かないだの、車内で転倒しただの、事故が起きたらどうするつもりなのか、と思いながら見ておりました。

しかし補助席に関するトラブルは、今に始まったことではありません。

↓今から52年前の今日、1961(昭和36)年2月16日付朝日新聞滋賀版の読者投稿記事

[座れない補助席]の続きを読む
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60年前の今日、1952(昭和27)年3月17日、近江鉄道バスが、それまでに石山駅まで伸びていた路線を、更に浜大津まで延長します。前日付の滋賀日日新聞記事↓

S27.3.16S 近江バス浜大津乗り入れb

この当時は湖岸道路など影も形もありません(この後15年ほどして全線開通)から、当時は国道2号線と呼ばれていた、開通したばかりの国道1号線を経由しています(開通当日付の滋賀日日新聞広告)↓

S27.3.17S 近江バス浜大津線開通広告b

広告では「石山行」「石山発」となっていますが、石山駅始発、終着ではなく、上の記事からも分かる通り、長いものでは守山から来ていたことが分かります。

[近江鉄道バス 石山駅-浜大津延長60周年]の続きを読む
2月14日付拙稿キジ白の名女優に、木津川様が下さった、彦根-大垣間の路線バスのコメントを受け、いつも貴重な画像を提供して下さっているT.F.様から彦根-大垣間の近江鉄道バス、名阪近鉄バスなどの貴重な画像を頂きましたのでUPさせて頂きます。

いずれも1977(昭和52)年1月1日大垣駅前で撮影、当時は大変な雪だったそうです。このあと岐阜市内に行かれると、小雪がちらつく程度で全然雪がなかったそうです。

↓雪で行き先が見えない近江鉄道バス

52-1-1大垣1

↓見たことがないタイプのバスでメーカーもよく分かりません。
[大垣-彦根間に路線バスがあった頃]の続きを読む
いつも大変貴重な写真を惜しげもなくご提供下さるT.F.様から、37年前の今日、1975(昭和50)年1月18日に撮影された草津駅前の写真を頂きました。
松の内はとうに過ぎましたが、37年前からのお年玉ということで、5枚の写真を特別UPさせて頂きます。

昨年8月25日付拙稿東草津(京都八日市線④)で触れましたように、T.F.様によると、1980(昭和55)年前後まで、草津-八日市間を近江鉄道バスが走っていたということでしたが、何とそのバスの写真がありました↓

PICT0008.jpg

東口のLty932(エルティくさつ)の前でしょうか?左後方に見えるのが、くさつ平和堂(平和堂草津店)ではないかと思います。
「名物」の文字があるのは、うばがもちの店か何かなのかもしれませんが、今もその名残なのか、草津駅からペデストリアンデッキでエルティくさつに入るところ、つまりこの建物の2階くらいの高さのところに、「うばがもちや」があります。

「希望ヶ丘口経由」なんですね…。今はこの名前の停留所はないようです。要するに国道8号線…と思ったら、いやいや調べてみるもので、御上(みかみ)神社から石部方向に少し走ったところが、「希望ヶ丘口」交差点でした。竜王や蒲生などの鉄道空白地帯を通っていたのかもしれません。


[37年前の1月からのお年玉]の続きを読む