青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
間に別の話題を挟みながら、ゆっくりゆっくり、それこそ旧道をジリジリ走るバスのように、半年以上もかけて、9月、旧大津市内線の特集を終えました。

「取材」は実は4、5年前、まだこのブログがないような時からスタートして、ブログを初めてから、写真が足りないところや納得のいくような写りでないところを、場所によってはそれこそ更新の直前までかけて撮影したり、記事をチェックしたりしておりました(それでも誤字脱字をする情けなさ…)。

石山駅から北、湖岸道路と国道1号線に挟まれた、京阪電車沿線の地域は、私の頭の中では全くの白地図状態でしたが、今回の取材で、膳所の古い街並みを楽しみながら歩くことができ、大変有意義でした。

最近、1964(昭和39)年1月6日現在の路線図を入手したため、それによって判明したバス停名の変更等はできるだけ本編中でも反映させましたが、この路線図によって判明したキロ程は、あとから付け加えるとややこしくなるので、ここで総括します。

↓バス停名の新旧名称対照と、キロ程を以下のようにまとめました。

s-CCI20141013_00002.jpg

長等公園下【旧大津市内線2】の回で、

ただとにかく、どうもここを「三井寺下」と呼んでいた時期があったのは確かなようで、1970(昭和45)年版の都市地図では、ここが「三井寺下」で、旧大津市内線でもともと「三井寺」と呼んでいた位置、つまり前回の記事のバス停の位置にはバス停はありません。何らかの事情で短縮されたのかと思われます。



と書きましたが、やはり1964(昭和39)年1月6日の時点ではもう当初の起点の「三井寺下」はなくなっていて、長等公園まで短縮されていたのでしょう。

そもそもこの旧大津市内線が、いつ廃止されたのか、その後どうなったのかという部分について、『京阪自動車五十年史』(1972)でも断片的なことしかわかりません。

ただ、比較的有力な情報が1967(昭和42)年11月12日付滋賀日日新聞に掲載されていました。
[旧大津市内線 総括]の続きを読む
スポンサーサイト
膳所駅 ぜぜえき
所在地:大津市馬場二丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明(昭和42年頃?)
付近:JR膳所駅 京阪膳所駅 滋賀銀行膳所駅前支店 滋賀県立大津高等学校 滋賀県立清陵高等学校馬場分校 大津膳所駅前郵便局 大津教会聖堂 聖母幼稚園 馬場元町自治会館 
 

馬場は今では大津市の中に入つて了(しま)つた。つひ近頃馬場の停車場は大津の停車場と改名された。鮒鮨を其處(そこ)で賣(う)つてゐる。所謂(いわゆる)湖水でとれる源五郎鮒なるものである。
(田山花袋「東海道畿内」『田山花袋の日本一周』P411)





田山が「大津の停車場と改名された」と言っているのが今の膳所駅にあたる駅です。馬場→大津→馬場→膳所、と何度も名を改めました。

膳所駅の前にバスが来ていたなんて、もはや下千町、千町口以上に誰にも信じられないことになってしまっているでしょう。
でも、各種の資料から間違いがないのです。

IMG_5386.jpg

IMG_5384.jpg

[膳所駅【旧大津市内線40】]の続きを読む
馬場南町 ばんばみなみまち
所在地:大津市馬場三丁目
開設年月日:1963(昭和38)年以降?
廃止年月日:不明
付近:大津板紙株式会社 馬場南町自治会館




2013(平成25)年12月17日付拙稿旧大津市内線生誕60周年で引用した開通当初の新聞記事や1962(昭和37)年現在の都市地図でもこのバス停に関する記述は全くありませんでしたが、あとで入手した1964(昭和39)年1月6日現在の路線図には記載がありました。

その路線図に書かれていたキロ程を参考に検証すると、恐らく、錦-膳所駅間のこの点滅信号の交差点付近ではなかろうかと思われます↓

IMG_3847.jpg

カット&パーマ クレヨン、本当にクレヨンで塗ったみたいに強烈な色で、一度見ると忘れられません。
目立つことこの上なく、客寄せにはもちろん、車が飛び込んだりしない安全面での効果もありそうです。
[馬場南町【旧大津市内線39】]の続きを読む
錦 にしき
所在地:大津市相模町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
改称年月日:不明 (1963年頃まで錦→1964年1月6日付路線図上 大津紡績前)
付近:大津ロングゴルフ(大津紡績跡) 京阪錦駅 六体地蔵 大津労働基準監督署 大津市立昭和会館 滋賀大学附属幼稚園・小学校・中学校


約1か月ぶりの旧大津市内線です。お付き合いのほど宜しくお願い致します。
「錦」は、正式な行政上の地名ではありませんがおよそ、相模町、昭和町の辺りを指すようです。



1962(昭和37)年の地図によると、今の「大津ロングゴルフ」の前、バス通りと、京阪電車の地蔵道踏切から続いて、バス通りを斜めに渡る道とが交わる辺りに、錦バス停があったようです。

↓下の写真の直進する道がバス通りで、膳所駅方面、左手の道が斜断している道です。

IMG_0910.jpg

↓膳所本町方面を眺めています。左手の道が、京阪電車の「地蔵道」踏切につながります。
[錦(大津紡績前)【旧大津市内線38】]の続きを読む
膳所本町 ぜぜほんまち
所在地:大津市膳所二丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:京阪膳所本町駅 滋賀県立膳所高等学校
 



膳所本町とは、もともと膳所町大字膳所だった地域のことで、JRの膳所駅とその前の京阪膳所駅がそもそも「馬場」地域であるのに対して、本当の意味での「膳所」なのだという意味であり、文字通りの「本町」、膳所の中の膳所と言えましょう。

↓膳所神社前の方向を望みます。

IMG_0880.jpg

今独立した町名となっている丸の内町や膳所平尾町も、当初は膳所本町の小字にすぎませんでした。それが、その他の小字とともに、1951(昭和26)年に整理されて、膳所を冠する膳所丸の内町、小姓町、坊主町、大工町、浜田町、上浜田町、上清水町、下清水町、北相模町、南相模町、平尾町、行啓町、山添町、北大手町の14町となりました(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P420)。このうち、小姓町、坊主町などは今も京阪電車の踏切の名前として残っています。
他にも「膳所」を冠する町名はたくさんありますが、これは膳所本町の小字とは別の起源ということになります。
[膳所本町【旧大津市内線37】]の続きを読む
瓦ヶ浜 かわらがはま
所在地:大津市杉浦町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:旧大津北浦郵便局


杉浦重剛の生家から西に進みます。これといった目印がないので、後で写真を見返してもどこなのか思い出すのに苦労しますが、道が僅かに広くなるここが瓦ヶ浜です。

IMG_0789.jpg

バス停名は瓦ヶ浜ですが、京阪電車の瓦ヶ浜駅からは遠かったようです。



『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』によると、中ノ庄村の一部で、膳所城築城の時に、ここを流れる篠津川沿いで多数の瓦を焼いたことによる地名だということで、ずっと小字として存続し、1951(昭和26)年から1964(昭和39)年まで膳所瓦ヶ浜町となりました。私の手元の1962(昭和37)年現在の「京阪神市街地図集」には、このような地名は見られません。

バス停は、この古い建物の前辺りにあったのではないかと推測しました。もちろん、先述の「京阪神市街地図集」に書かれている、ということもありますが、ここは道が少し広くて、バスが止まっても、反対からくる車が割合スムーズに離合できそうなためです↓
[瓦ヶ浜【旧大津市内線33】]の続きを読む
旧大津市内線 往路に重なりますので、膳所神社前(膳所公園前)【旧大津市内線23】をご参照願います。

次は、膳所本町です。
旧大津市内線 往路に重なりますので、膳所浜田町(刑務所前)【旧大津市内線24】をご参照願います。

次は、膳所神社前(膳所公園前)です。
旧大津市内線 往路に重なりますので、中ノ庄【旧大津市内線25】をご参照願います。

次は、膳所浜田町(刑務所前)です。

粟津 あわづ
所在地:大津市別保一丁目または杉浦町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:別保一丁目自治会館 西念寺


粟津は、奈良時代以前から見える古い地名です。時代によって指し示す範囲は変わったようですが、概ね膳所から唐橋辺りを広く指す地名と考えられています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P79-80)

吉田金彦は「大津」という地名同様、「逢う津」から来ている可能性があるとしています(『京都滋賀古代地名を歩くⅡ』(P166-167)が、一方で坂本の日吉大社に粟飯を献上したから粟津というようになったという説も紹介しています(P172-173)。



ただ、現行の住所における「粟津町」からはだいぶ離れています。
[粟津【旧大津市内線32】]の続きを読む