青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
ちょうど60年前の今日、1953(昭和28)年7月21日付朝日新聞滋賀版↓

S28.7.21A バス会社黒字ホクホクb

60年で、世の中の何と様変わりしたことでしょう。

京津国道線は1キロ走るごとに55円の利益?????各社とも現有路線の半分は1キロあたり5-10円の利益。

…運転手、事務サイド他バス会社関係者はため息をつきそうな素晴らしい営業成績です。

因みにUP日時点で最新の「自動車輸送統計月報」は平成24年8月号ですが、これによると、1か月のバス利用者は1,455,000人なので、県民全員が月に1回程度はバスを利用しているということになり、その点では意外にもこの当時と変わりません。

何が違うのかはこの新聞記事中の統計と単純に比較できる資料がほかに見当たらないのですが、恐らく乗車率で考えると、とても当時に及ばないのでしょう。

車両の平均寿命がたった4年というのがまた驚きです。
「新車でなくては徒歩で用を足す人が多くなり」
いや古くても歩くよりいいだろう、と思うのですが、この当時の日本人はひょっとするとまだどこに行くにも歩くことに今の日本人ほどの抵抗感がなかったのかもしれません。
しかし、何だかんだ言ってもやっぱり日本人は新しいものが好きなんですね。

「田舎のバスはおんぼろ車」という誰でも耳にしたことのある『田舎のバス』(三木鶏郎作詞・作曲 中村メイ子・唄)がリリースされるのはこの2年後、1955(昭和30)年のことです。

「車体も故障しても損の少ない旧型車を使用」
とありますが、「田舎のバスはおんぼろ車」というのは、おんぼろ車しか用意することができない会社の体力だけでなく、修繕費や減価償却費などを考えると確かに合理的なのでしょう。


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下手で申し訳ないのですが、宜しければアメリカの作曲家・音楽教育家のギロック(William L. Gillock 1917-1993)作曲「音もなく降る雪」“The Silent Snow”をお聴き下さい。たった10小節ほど1分弱の短い曲です。



ギロックの曲は短いものが多くて、音も少ないけれど、それこそO・ヘンリの短編小説や、日本なら俳句や短歌のように1つの世界をうまく切り取っていて、驚くほどきれいです。

こんなふうに、静かに降ってくれる雪(のように私の演奏で聴こえたか分かりませんが…)ならいいですが、たまにドカ雪が降ると困ったものです。家にいられるなら、雪もいいものですが、仕事で外に出なければならないとなると、子どもの頃のようにはしゃいでもいられません。遅れるバスや、込み合う電車に辟易しながら、滑る足元に気を遣って、仕事1日分の気力と体力を使いながらの出勤でぐったり。

そんな雪の日の交通についての投稿が、51年前の今日、1962(昭和37)年1月29日付京都新聞に掲載されていました。第1滋賀版の『窓』から↓

[バスと公共性について]の続きを読む
今から60年前の今日、戦後7年目のアメリカ独立記念日であった1952(昭和27)年7月4日の京都新聞では長距離バスの話題↓

S27.7.4K 京都‐大阪間長距離バスb

この時代にもう長距離バスというものが様々に企画され、運行されつつあったことに驚かされます。ウィキペディアの高速バスの項を見ると、戦前にまでその歴史を遡れる国鉄バス広浜線の他、戦後になって、いくつかの長距離路線が高速道路開通前に開通していたことが分かりますが、この新聞記事で取り上げられている路線に関する記述はありませんでした。

[世は長距離バス時代]の続きを読む
明日からもう7月、早いですね。
今から54年前の今日、1958(昭和33)年6月30日付の朝日新聞滋賀版には、夏を先取りする記事が掲載されていました。

S33.6.30A 京阪バスの水泳バス・納涼バスb

(現在の目で見ると、差別的と考える方もいらっしゃりそうな表現がありますが、時代背景を考え、原文を保つことを優先し、そのままにしております)
[明日から7月~~もはや戦後ではない]の続きを読む
今回は、昨年北海道に行った時に見た、路線バスで印象的だったものを簡単に取り上げます。

↓JRバス 「手稲鉱山」行き。ステレオタイプかもしれませんが、さすが北海道、と思う行き先です。

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しかし、国鉄でも、炭鉱そのものが旅客を扱う駅の駅名となったのは、旧万字線万字炭山駅(1985年廃止)しかありません。

↓じょうてつバス。「硬石山」行き。「石山」という文字に反応して、「硬」と「石山」で区切ってしまって、「硬い石山」???なのかと思ってしまったうえに、「かたいしやま」と読んでいましたが、正式には「こうせきやま」なのだそうです。採石場として札幌では有名だそうです。
もちろん、そんな山の中で終点なのではなく、麓の住宅街が終点のようです。
[比較交通地理学?③]の続きを読む
「比較言語学」「比較社会学」「比較政治学」など、「比較」と冠する学問は多いのですが、「比較交通地理学」などという用法は特に見当たりません。ただ、よその路線バスへの関心が希薄な私(やっぱり結局路線バスに関心があるというより、走っている場所に関心があるのだと思う)も、「比較」という観点に立つと、面白いと思うこともあって、上等ないい方をすればまあこんな感じだろうと思い、今回のタイトルとさせて頂きました。夏の北海道旅行で見た、「札幌市交通資料館」を中心に取り上げたいと思います。

同資料館は、5月から9月の土日祝日と、小学校の夏休み期間のみ開館しています。

最寄駅は地下鉄の「自衛隊前」。札幌の地下鉄は、全てゴムタイヤを使っていることで有名です。

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僅かですが、入出庫の関係で自衛隊前止まりの電車があるため、ポイントレールがあります。ご覧の通り、大阪のニュートラムとも違うし、何とも独特な構造です↓

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駅を降りると、際川(さいがわ)の大津駐屯地など目でないような広大な駐屯地がドーンと広がる他、あまり建物がなく、自衛隊と反対側は古い住宅地で、地下鉄南北線で最も乗降客が少ない(3500人余り)というのもうなずけました。京都市営地下鉄で言うと、小野、石田と言った、最下位クラスの駅よりやや多い程度です。

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駅の南に少し歩くと、すぐに資料館です↓

[比較交通地理学???]の続きを読む
54年前の今日、1957(昭和32)年9月10日付の読売新聞に掲載された広告↓

S32.9.10Y 伸びゆく滋賀県の交通産業(広告)b

この広告の周りには、自動車メーカー、ディーラーや、観光バス会社の広告が並んでいました。
特に、トヨタがまだバスを作っていた時代のようで、大型のボンネットバスの車体のイラストが乗っていて興味深かったです。

なぜ特に「交通産業」と取り出してこのような広告が出たのかはよく分かりませんが、バスの路線図も乗っていてなかなか面白いです。

印刷技術が未発達なせいか、京阪 点線、近江 実線、江若 二重線という、分かりにくい形ですが、近江がやはり一番幅を利かせていることはよく分かります。

[伸びゆく滋賀県の交通産業]の続きを読む
S35.7.24K夕 比叡山バス転落事故

(昭和35年7月24日付京都新聞夕刊)

S35.7.25K 比叡山バス転落事故

(昭和35年7月25日付京都新聞)

事故を取り上げるのは、正直どうなのだろうかと迷ったのですが、負の歴史も歴史ですし、忘れてはいけないことだと思いましたので、今後の交通の安全を祈念して、あえて取り上げました。

1960(昭和35)年7月24日、51年前の今日、午後12時25分頃、開通してから2年余りの比叡山ドライブウェイで、その事故は起きてしまいました。

記事によると、その日、神戸市葺合(ふきあい)区(1980年以降は中央区の東部)の葺合遺族会の一行は、2台の全但バスに分乗して、延暦寺根本中堂(こんぽんちゅうどう)、近江神宮を巡る旅行をしていたようです。

奇しくも、今年の7月24日は昭和35年と同じ日曜日、涼しい比叡山は、観光日和だったことでしょう。

事故に遭ったのは2台目のバスでした。比叡山頂から、比叡山ドライブウェイの本線につながる交差点(西尊堂前、無動寺バス停付近)で、根本中堂方向から来て一旦停止していた三条京阪行きの京阪バスに衝突して、ガードレールを突き抜け、谷底に落下したのです。乗客44人中、子どもを含む28人が亡くなるという大惨事になってしまいました。
その割には、時代が古いせいか、インターネットで調べても、僅かしかヒットしません。




因みに、新聞記事画像はUPしていませんが、7月25日付京都新聞によると、京阪バス側でも、乗客4人が軽傷だったとのことです。

↓比叡山頂から、交差点に下る道筋から見た琵琶湖。その日も、こんなふうに天気が良かったのでしょうか。

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滋賀県民である私でさえ、息を呑むような美しい景色に、神戸の一行も、心躍らせたのでしょうか?

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[1960(昭和35)年7月24日 比叡山バス転落事故発生]の続きを読む