青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
郵便局前 ゆうびんきょくまえ
所在地:(北行き)大津市南志賀二丁目
    (南行き)大津市南志賀三丁目
開設年月日:1957(昭和32)年8月1日以降1964(昭和39)年1月6日までの間
廃止年月日:2006(平成18)年7月1日
付近:京阪南滋賀駅 大津南志賀郵便局 滋賀市民センター(大津市役所滋賀支所・大津市立滋賀公民館)
キロ程:神宮住宅前から0.4キロ




京阪南滋賀駅前にあったバス停は「郵便局前」。京都大学鉄道研究会雑誌№27「京阪大津線」(1996)でも、

駅前のバス停は、郵便局前となっているが、小さな特定郵便局にすぎず、なぜそのようなバス停名になったのか不思議である。(P31)



と書かれています。
「郵便局前」と名付けられたバス停が先にあって、後から南滋賀駅ができたのならともかく、同駅は1927(昭和2)年5月15日の三井寺-松ノ馬場間の開業時にできた駅である一方で、バスはそれより30年も後の、1957(昭和32)年8月1日の開通であることがほぼ間違いないので、その考えは成り立ちません。

他に目印がないならともかく、駅のまん前、しかも自社系列なのだから「京阪南滋賀駅」などの停留所名にするのがふつうでしょうに、「南滋賀」という立派な地名ですらなく、確かに不思議です。

↓因みに、こちらが「郵便局前」の郵便局、「大津南志賀郵便局」です。
[郵便局前【大津市内総合線 大津北地区以北他20-1】]の続きを読む
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神宮住宅前 じんぐうじゅうたくまえ
所在地:(北行き)大津市神宮町
    (南行き)大津市柳川一丁目
開設年月日:?
廃止年月日:2008(平成20)年7月1日
付近:大津市営神宮団地
キロ程:近江神宮前から0.1キロ




近江神宮前との距離が短く、影が薄かった「神宮住宅前」。
「神宮住宅」というのが何なのか、バスに乗っているだけでは分からないので、私も「取材」の時初めて分かったのですが、バス通りから少し奥に入ると、由来になったと思われる、「大津市営神宮団地」があります↓

IMG_0531.jpg

↓気になる不思議なスペース。
[神宮住宅前【大津市内総合線 大津北地区以北他19】]の続きを読む
◆再度お知らせ
パソコンが不調のため、修理中です。既に書き上がっている記事については予定通りUPできるように設定済ですが、前回お知らせしておりました、コメントレスをまとめた新規記事は編集が間に合いませんでした。申し訳ありませんが、暫くお待ち願います。コメント、メールフォームのメール等は携帯から確認させて頂きます。ご了承のほどお願い致します。



2006(平成18)年6月30日の特集を続けます。もう5年経つんですね。早いものです。

今回は、18・28号経路 石山駅-唐崎駅系統です。

滋賀里(しがさと)までの路線は、1957(昭和32)年8月1日に開通しているので、廃止時点では49年の歴史があったことになります。

↓1957(昭和32)年7月30日付京都新聞滋賀版

S32.7.30KS 皇子山線運行開始

↓1957(昭和32)年7月31日付朝日新聞滋賀版

S32.7.31A 皇子山線運行開始

滋賀里以北、京阪電車沿いの現在の県道「浜大津伊香立線」は、詳細は調査中ですが意外に新しく、この時点では開通していなかったか、ほんの里道に過ぎなかったはずです。坂本に向かう路線は、161号を経由していたものと思われます。
県道開通以後も、滋賀里以北に行く路線は、名神大津など旧大津市内発着が基本で、石山駅始発は滋賀里止まりの時代が長く続きました。

京阪バスなどの運賃改定を伝える、1967(昭和42)年5月3日付滋賀日日新聞では、滋賀里始発で、石山駅に向かう路線は、市役所・国道経由市役所・湖岸経由柳ヶ崎・国道経由柳ヶ崎・湖岸経由の何と4つのパターンが運行されていたことが分かります。

この当時は西大津駅もありませんし、びわこホテル行きも開通直前(同年8月18日開通 詳細は昨年8月20日付拙稿主なき誕生日 「びわこホテル行き」43周年参照)なので、滋賀里は北部の一大拠点だったのでしょう。

↓長い間使っていなかった、詳しい方に作って頂いたアップローダを使って、下手クソな概略図を、これでも必死のパッチで大騒ぎしながら作りました。私をはじめ、大津市内の方は、字面でイメージできると思いますが、よその方もいらっしゃいますので…


石山駅以北簡略図

「ア○バ」とか、山科駅前でよくティッシュ配ってるのを、よく2、3回並び直してもらいつつ、そんなところでわざわざパソコンなんて習うひとなんているのかなと思っているんですが、私みたいな人間が、習わないといけないんでしょうねorz ホンマにこういうIT関係とか、何とか、何回聞いてもさっぱりチンプンカンプンですわ。

余談はさておき、肝心の滋賀里-唐崎駅間ですが、こちらの歴史はごく浅く、1987(昭和62)年1月18日、滋賀里までの路線を延長する形で開通しました。この約3ヶ月後に、南郷中学校系統が開通するのですが、私は唐崎駅行きの開通はおろか、「滋賀里行き」についても全く記憶がなく、南中系統との開通時期がこんなに近接しているだろうか?と思っておりました。しかし、『京阪時刻表』などの文献を見ても、これで確かなようです。

00000550.jpg

↑最終運行日の滋賀里バス停。確かに少し広くはなっていて、どうにか折り返しはできそうです。
唐崎駅行きはここで右折して京阪電車の踏切を渡ります。6月24日付拙稿2006(平成18)年6月30日 その時歴史が動いた?�で取り上げた、比叡山坂本駅方面は、写っている郵便局の右手を抜けるように直進します。
[2006(平成18)年6月30日 その時歴史が動いた?②]の続きを読む
◆お知らせ

コメントへのレスが遅れており、申し訳ありません。思いがけない盛り上がりよう???なので、コメント欄でのレスの形でなく、近いうちにまとめて1本の記事とさせて頂こうと思います。


私が京阪バスにいた時にたえず電車の防衛線として、他社線の侵入を防ぐ様に防衛路線をどういう風に網を張ろうかという苦労をしたものである。他社が沿線に路線申請した時はすぐこれの対応で出願しなければならない。そして先方の線を不許可にするか、こちらに許可を受けるようにしなければならない。
(1927(昭和2)年京阪自動車買収当時の運輸課事業係長のことば)

(『京阪百年のあゆみ』P114 2011)  



2006(平成18)年6月30日は、大津営業所だけでなく、京阪バス全体の歴史の中でも、後々重要な意味を持つ日と評価されると私は考えています。以下の路線が、この日、最後の運行日を迎えるのです。

◆山科管内
46号経路(山科駅-浜大津)

◆大津管内
13号経路(石山駅-国道・湖岸連絡)
18号経路(石山駅-国道-浜大津-唐崎駅)
28号経路(石山駅-湖岸道路-浜大津-唐崎駅)
29号経路(石山駅-湖岸道路-比叡山坂本駅)


特に廃止時点での正式名称が山科大津線となっていた、京津国道線・46号経路は、昨年12月28日付拙稿「新生日本は輸送復興から!」京津国道線にトレーラーバスでも書きましたように、京阪バスの戦後復興を支えた、非常に重要な路線であります。また戦前も非常な活況を呈し、京阪バスの骨格の1つだった路線であり、その廃止は、単に西大津BP線以外で大津と京都がバスで直接行き来できなくなった、一路線の廃止、という以上の意味を持っていると思います。

また、比叡山線を除く一般路線の北端が大きく後退し、前身の前身の会社まで含めれば、京津国道線に負けない、大正にまでそのルーツを遡れる坂本方面の路線を失うということも重大な出来事だと思います。

京阪電鉄と他社バスの競争にならないように、という意味合いで設定されたバス路線でしたが、もはや他社が参入してくることなどあり得ない、という状態になったと考えられ、時代の変化の波は凄まじいです。

拙くて申し訳ないのですが、最後の運転の日を追い掛けた私の写真で、坂本、唐崎、京津国道の順に3回に分けてその日を振り返りたいと思います。現在の廃止区間の様子や、各路線の詳細については、その3回だけで取り上げきれませんので、今後、調査を進めながら書いていこうと思います。

13号経路だけは、紙幅の都合(と書いてから、紙ちゃうな、と思いましたが…)や、今年の10月1日が開通10周年の節目に当たることを考慮し、今回は取り上げません。

今日は、29号経路を取り上げます。

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[2006(平成18)年6月30日 その時歴史が動いた?①]の続きを読む