青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
一昨年2011(平成23)年の今日1月17日、大雪の影響で石山駅-岩間寺間の臨時便は全便運休となりました↓

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この他に、豪雨災害直後の2012(平成24)年8月17日も、土砂崩れで運休となりました↓

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しかし、少なくとも今からちょうど30年前の1983(昭和58)年1月17日には、少なくともそれまでの1年余りの長期間、この臨時便が運休していました。

「岩間寺 “参拝バス”いつ走る 進まぬ市道復旧に悲鳴」という気になる記事が載ったのは、1983(昭和58)年1月21日付の京都新聞滋賀版です。
[岩間寺行きが走らない17日]の続きを読む
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何より若い人が(スキーに)行かなくなった。車や外国への興味が薄れたのと同根だろうか。それとも寒さを嫌う「巣ごもり派」が増えているのか。スキー列車やスキーバスのにぎわいも、今は昔の話らしい。

(中略)

山へ、釣りへ。ガールは外に飛び出すが、ボーイが引きがちなのが気にかかる

(1月12日付朝日新聞「天声人語」)



ついこないだ、「私は、わざわざ寒い時に寒いところに行くことあらへんわ、という実に拗ねた若々しくない性格で、スノボなんてほとんど行かないので」びわ湖の銀嶺へ12月26日付)と書いたところなので、ギクッとしてしまいましたw
そんなに大きい、ちゃんとしたカメラじゃないから、撮影の時もいちいち手袋を取らないといけないでしょう?だから、撮るのも億劫で、冬は撮影枚数が少なくなりがちです。

まあもう「ボーイ」やないし、ええねん♪と、都合のいい時だけ「オッサン」になる…。
普段「オッサン」はもちろん「おっちゃん」なんて言われても「どこにオッサンいてるねん?」と振り返りもしないくせに。

スキーバス、列車と言えば、やはりマキノを思い出しますし、マキノスキー場前に京阪バスを含め、ずらっとバスが並んでいる写真もどこかで見た覚えがあります。江若鉄道がなくなった直後は、京阪バスと江若バスが主役だったようです。

1970(昭和45)年12月27日付産経新聞滋賀版によると、26日から、以下の通り臨時バスの運行を始めたそうです。全て大津駅の時刻、運賃も大津駅から終点までです。

マキノスキー場行き(460円)
平日 8:10(江若) 17:40(京阪)
休日 7:17(京阪) 7:37(京阪)  7:50(江若) 

比良スキー場行き (230円)
平日 8:05 9:05 14:50 
休日 7:40 8:00    (すべて江若)

びわ湖バレイ行き (200円)
土曜・日曜の前日 17:27 17:57 (いずれも京阪)
日・祝日 7:42から10分おきに、京阪と江若が交互に5本

午後出発するというのが不思議な気がしますが、もうこの当時既にナイターとかあったのでしょうか?
[大津駅発マキノ・比良・びわ湖バレイ行き]の続きを読む
本ブログ朝日ヶ丘②などに写真や資料をご提供頂いているT.F.様より、昨年12月26日付の拙稿「びわ湖の銀嶺へ」で紹介させて頂いた新聞記事を、同志社大学鉄道同好会(DRFC)HP内の掲示板で取り上げたいとのお申し出を頂戴しました。ご了解させて頂き、掲載して頂いたところ、思いがけず、たくさんのご反響を頂いたとのことで、幸甚です。

有名な、京阪電鉄四宮車庫火災(昭和24年8月7日)の直後、当時の社長が、
「日本で珍しく立派な京津国道に電車を走らせるよりも、むしろ快適なトレーラーバスを走らせる方が旅客輸送面から見ても効果が大きいので研究したい」
とコメントしたという新聞記事を引用されている方もいましたが、この記事は私も偶然見つけて驚いたものでした。歴史に「もしも」は禁物といいますが、もしも実現して京津線がなくなっていたら、どうなっていたのでしょう?

中には、12月28日付拙稿「新生日本は輸送復興から!」京津国道線にトレーラーバスで取り上げたトレーラーバスに実際に乗車された、という方もいらっしゃいました。
[びわ湖の銀嶺へⅡ]の続きを読む
私は、わざわざ寒い時に寒いところに行くことあらへんわ、という実に拗ねた若々しくない性格で、スノボなんてほとんど行かないので、最近の滋賀県のスキー場の情報にも疎いのですが、地球温暖化の影響もあるのか、特に12月などという早い段階では、人工雪が多いようですね。

しかし、63年前の今日、1947(昭和22)年12月26日の京都新聞の広告↓によれば、人工雪などもちろん存在しませんが、翌27日からスキー場開場と書かれています。

S22.12.26KY マキノ臨時バス広告b

広告主は「京阪神急行」となっており、今の京阪と阪急が、まだ戦時統合下の状況だった時ですね。分離はこの2年後、1949(昭和24)年のことです。

京阪バスは、「四条大宮より濱大津まで特別運轉スキー船連絡」と書いてあります(筆者注 濱=浜 轉=転)。今、「京阪バス五十年史」などをもとに自分で作った年表を確認したら、何と広告が出たこの日に「スキー旅客輸送のため四条大宮-浜大津間運行認可」されたということですので、それのことですね。「京阪神急行」傘下の会社としてスキー輸送に協力しているということでしょうか。

江若鉄道のことも載っていますが、この時は、まだ京阪系列ではありません。江若の乗車券は、スキー船にも通用すると書かれているので、プール制だったと思われます。

しかし、終戦直後のこの頃、いったいどれほどのひとがスキーを楽しめたのだろう?と思います。京阪バスの戦後復興の象徴である「京津国道線」(浜大津-京阪三条)でさえ、使用できる車両をかき集めて、1946(昭和21)年4月5日に毎日運行を再開したばかりの状態です。

この広告のすぐそばには、「引揚者に對する絹蒲團特別配給の予約を承ります」(筆者注 對=対、團=団)との「京都府海外引揚同胞聯盟」の公告。スキーが悪いとか、そういうことじゃないのですが、とてもそれどころではなく、明日寝る布団をどうしたものだろう、というひとも少なくなかったのでしょう。

この年は、日本国憲法をはじめ、学校教育法、労働基準法、児童福祉法など、今の日本を形作る、基本的で重要な法律がたくさん公布・施行された年でもありました。
栗東の競走馬トレーニングセンターは知っていても、草津に競馬場があったことを知っているひとはそれほど多くないと思います。しかし、ネットで「草津競馬場」と検索すると結構いろいろ出てきます。

今の草津駅西口A-SQAREが跡地で、1931(昭和6)年に開設、1951(昭和26)年に休止、1954(昭和29)年に廃止され、その跡は綾羽紡績株式会社の工場となったそうです。
A-SQAREが綾羽の工場跡地であることを知っているひとや、リアルにその工場を記憶しているひとはまだまだ結構多いと思うのですが、さすがにその前まで知っているひとは少ないことでしょう。

まして、そこに、62年前の今日、1948(昭和23)年12月21日、京阪バスの臨時バスが走っていたことなど、誰が想像しましょう?

1948(昭和23)年12月16日付京都新聞滋賀版↓
[草津競馬場 臨時バス]の続きを読む