青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今回は交通関係の話題はありませんので、ご興味のない方は次回の記事をお待ち下さい。

7月30日付拙稿真野浜【京都今津線46】で書きましたように、京都市美術館のルネ・マグリット展が一時的に休止となり、ショックを受けておりましたが、何のことはなく結局その直後、8月1日から通常通り開館されることになりました。

仕事や他の用事の都合でなかなか行けなかったのですが、今月上旬、土曜出勤の代わりの平日休みでやっと行くことができました!少し早い芸術の秋を楽しんでまいりましたw

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ルネ・マグリット(ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット  René François Ghislain Magritte)(1898-1967)は、ベルギー生まれのシュールレアリストを代表する画家です。フランス語っぽい名前だな、と思われると思います。オランダ語系とフランス語系、大きく2つに分かれるベルギー人でもいわゆる「ワロン人」で、フランス語圏側の出身です。

同じくフランス語圏の出身で、シュールレアリストであるポール・デルヴォー(1897-1994)と作品に相通じるところもあります。

ファン・ダイク、ピーテル・ブリューゲル、ヴァン・ダイクなど、有名なベルギー出身の画家はたくさんいますが、たいていアントワープなどオランダ語圏出身者です。『フランダースの犬』で、ネロが一目見たいと願ったアントワープの聖母大聖堂の「キリストの昇架」を描いたルーベンスも地元アントワープの出身で、フランス語が通じてパリで勉強しやすいメリットがありそうなのに、意外にフランス系のひとは少ないです。

晩年のマグリットは、同じシュールレアリストでも奇矯な言動が多く、ある意味で一般人の「期待通り」の「芸術家」だったダリなどと違って、いつもスーツ姿で早寝早起き、サラリーマン以上に小市民的な雰囲気でつましく暮らしていたそうです。しかし、その心の中にいつも影を落としていたのは、恐らく彼が13歳の時の母の入水自殺でしょう。人生の中で、これ以上のショックもそうなかなかないでしょう。彼の絵に、しばしば布をかぶっていて顔が見えない人物が登場するのは、母の遺体に掛けられた布、或いは顔にまとわりついていた衣服の再現だという説があります。

では、不思議な絵の旅へ…

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今回、130点ほどの作品が出品されています。3時間くらいかけてたっぷり楽しみました。
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上着を脱ぐと、コートハンガーを手渡してくれる。「安物ですから」と辞退すると「安物はすぐにしわになりますよ」。人懐こそうな目が笑っている。ユーモア感覚あふれる毒舌家だった。

(2011(平成23)年6月11日付朝日新聞夕刊)



いいわ!こういうの大好きですw 私もこんなことばっかり言っています。
職場でこの新聞記事見せながらその話をしたら、お前はもっと陰険じゃないか、と笑われ、心外でしたが(-_-メ)

故・舟越保武氏とともに、現代の日本を代表する彫刻家・佐藤忠良(さとうちゅうりょう)氏が3月30日に98歳で亡くなったことを知ったのは、恥ずかしながら3カ月近く経ってから掲載されたこの「惜別」という記事ででした。新聞は毎朝夕チェックしているのに、何ということか……。多分、震災関係の記事がまだまだ紙面を埋め尽くしていた時なので、見落としてしまったのでしょう。

学生時代に一般教養で取った美術関係の科目で、絵に関する話を期待していたのに、たまたまその年の担当の先生が、彫刻が専門だったため、彫刻の話が中心になってしまい、そこで名前を知ったのでした。講義を聴いた最初は、あちゃー…と思ったのですが、それはそれで思っていたより面白くて、その年の夏休みに、すぐに静岡県立美術館のロダン(François-Auguste-René Rodin 1840-1917 「考える人」などで有名なフランスの彫刻家)を見に行ったのを覚えています。佐藤忠良氏の名前を知ったのもその講義でした。

一般には、絵本の挿絵でよく知られていますね。

おおきなかぶ―ロシア民話(こどものとも絵本)おおきなかぶ―ロシア民話(こどものとも絵本)
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特に、一番上の「おおきなかぶ」はご覧になった方も多いと思います。いま日本で出回っている「おおきなかぶ」の絵本といったら、圧倒的に彼の絵が多いのではと思います。

「木」の質感の捉え方も、彫刻家らしい独特な立体感に見えます。

ちょうど、守山の佐川美術館で、佐藤忠良追悼展「-ブロンズの詩-」が開かれていたので、行ってきました。

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車で行くことも考えたのですが、別件もあったので…

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[ブロンズの詩]の続きを読む

焼き残りたる骨灰は序の節高良山の奥のケシケシ山の松樹の根に埋めて被下度、小生は彼の山のさみしき頂より思出多き筑紫平野を眺めて、此の世の怨恨と呪詛とを捨てて静かに永遠の平安なる眠りに就く可く候。

青木繁 姉妹あての手紙より



(今回、交通関係の話は最後に少しだけなので、ご興味のない方は飛ばして頂いても結構です)

先週、京都国立近代美術館の「青木繁展」に出かけました。企画展の時は、毎週金曜日に夜間開館をしているのがありがたい!金曜の晩は飲んだくれていることが多いのですが、忙しくても、たまにはこういう時間も必要です。

パンフレット表面の「海の幸」、裏面右上の「わだつみのいろこの宮」が特に有名で、重要文化財に指定されています。美術よりはどちらかというと社会の教科書で見たというひとが多いと思います。また、後者は切手の図案にもなっています。

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絵を見るのが好きな私も、今回は先述の2作品と、彼の名前しか知りませんで、白紙の状態での観覧となりました。
青木繁は、1882(明治15)年、福岡県久留米の、旧藩士の家柄に生まれました。
中学の時から言うことがやっぱり違いますね。勉強はどの教科もできるけど、学者で一生を終えるのも残念、政治は貴重な一生を投じてしまうほどのものでもない、という意味のことを言っています。そして結局、芸術こそ、
「男子の事業だ、そしてこの中に千萬の情懐を吐露し得るのだ」
という結論を見出します。一見傲慢なように見えるそのことばも、嫌味がなく、さっぱりとした力が漲(みなぎ)って見えます。


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父親から、「美術?武術の間違いではないのか?」などという反対に遭いながら、それでも東京に出て、絵の勉強を始めます。

学校を出てすぐ、一番脂が乗っている時に描かれたのが先述の「海の幸」でした。私は漠然と、担いでいるのは、カツオかマグロかな?くらいに思っていましたが、サメだそうです。言われてみれば口の形、ヒレの感じがそうですね。
1人だけ、こちらを向いている人物がいますが、そのモデルは、恋人・福田たねだと言われています。確かに、無骨な海の男たちの中で、1人端正な美少年のように見えます。

因みに一般に10人描かれていると言われているこの絵ですが、よく見るともう1人います。パンフレットでは両端が落ちてしまっていて分かりませんが、是非美術館に言って、実際に確かめてみて下さい。私が言っていることがどういうことか分かります。

しかし、天才は孤独です。
現在、代表作の1つで、重要文化財になっている「わだつみのいろこの宮」は思っていたような評価を得ず、父亡き後の家の問題、正式に結婚しないまま生まれた福田たねとの間の子どもをどうするのかといった問題も重なり、結核が悪化して、1911(明治44)年、28年の短い生涯を閉じます。
冒頭の姉妹あての手紙は、私は知りませんでしたが、亡くなる前に書かれた有名なもので、正式には「兜山」と呼ばれている久留米近郊の山に葬ってくれ、と頼んでいます。もちろん、本当にそんなところに墓を建てるわけにいかず、実際には石碑だけがあって、墓は近くのお寺にあるそうです。

この時には、福田たねとの間の子どもは5歳になっていた計算ですが、何と彼の母・青木まさをは自分の孫であるその子の存在を、青木繁が亡くなって初めて知ったそうです。突然孫が現れるなんて、どんな気持だったんでしょう?
このことは、展示されていた、福田たねの父親にあてた手紙の中で書いているのですが、達筆過ぎて読めなかったのが残念(汗。 明治44年という時代に、28の息子を持つ世代の、特に女性でそれだけの文章を書けたひとは決して多くはなかったでしょう。天才を生むにふさわしい、凛としたひとだったのだろうと思われます。

以前は「図録を買わないと美術館に来た気がしない」なんて思っていましたが、ゆっくり読む時間もなく、場所をとるので、最近は控えていました。でも今回は思っていたよりずっと感銘を受けたので、つい買ってしまいました。これが後で結構なお荷物になるとはまだ知る由もありません………。

[ケシケシ山の松樹の根に]の続きを読む
先月9日、大阪・福島の「ザ・シンフォニーホール」で、またまたパイプオルガンのコンサートを聴いてきました。
「トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565」「主よ、人の望みの喜びよ」など、曲名では分からなくても、聴けば、なんだあの曲のことか、と思うような名曲揃い。因みに今月もまたパイプオルガンを聴きに行く予定なんですよ。ピアノソロとか室内楽も聴きたいなあ♪

その後は、サントリーミュージアムの「ポーランドの至宝展」。例によって、閉館間際に行きました。

ポーランドというと、周囲の大国に翻弄された国、というイメージが強いですが、第二次世界大戦で壊滅に追い込まれたワルシャワの旧市街を、何とその崩れた瓦礫を使って、レンガもできるだけ元の位置に戻して建物を再建するという、気の遠くなるような作業を繰り返して、文字通り不死鳥のように蘇らせたという逸話は何度聞いても感嘆します。ポーランド人としてはショパンやキュリー夫人も有名で、遺品も展示されていました。

目玉はレンブラントの「額縁の中の少女」

ポーランドの至宝展パンフ

レンブラントはオランダ人ちゃうのか?と思ったのですが、これはワルシャワ王宮のコレクションのようです。当時、レンブラントの絵を持っているということは、大変なステータスシンボルだったのでしょうか?額縁の中の少女は、絵の中の額縁から手を出すという不思議な構図で、後のルネ・マグリットに通じている???と言ったら大げさでしょうか?

ミュージアムショップでの買い物も楽しみの一つで、絵はがきなんて買っても書かへんのに、つい買ってしまう…。展覧会オリジナルのバウムクーヘンが売られているのを見て、それも購入。バウムクーヘンはもちろんポーランドではなく、ドイツのお菓子だし、それも、実際にドイツではそんなに食べられているわけではない、ということも知っているのですが、冷静になって思いだした時は後の祭。

天保山渡船場途上

帰りは天保山のにぎわいを避けるように、バスターミナルの奥に続く細い道へ。この先に、桜島への渡船があるのです。無料というのがうれしいですが、市の財政を健全化させようと思ったら、少しくらいお金を払わないと逆にまずいような気もしますし、複雑な気持ち。でも、渡船の風情自体はいいですね。滋賀県にはこういう景色がないので、面白いです。他にもたくさんあるようなので、また来たいです。

天保山渡船場

パッと見NY?行ったことないけど…

渡船にて1

乗ったのは私1人。夜景独り占め。反対に桜島から天保山に乗っていくひとがたくさんいはりました。

渡船にて2

ここから桜島駅までは結構ありました。今、「桜島線」とは普通言わないんですね。「ゆめ咲線」なんですね。「琵琶湖線」「京都線」ほどに定着しているとは思っていなかったのですが。桜島線で十分いいと思うんですけどね。

桜島駅1

私、ユニバーサルスタジオ塗色の103系をまともに見たことがなくて、何がゴチャゴチャ描き込まれているんやろう?怪獣かなにかか?と思っていたのですが、スパイダーマンなんですね(^_^;) 怪獣って……。

ゆめ咲線

西九条駅は、JRとしては珍しく、1本の線路を、2本のホームで挟み込んでいます。私鉄で、降車と乗車を分けていたりする時によく見られますが、ここでは、大阪環状線の外回り、内回り、どちらにも乗り換えがしやすいように、という意図のようで、どちらにも自由に乗り降りできました。

西九条駅

サントリーミュージアムで買ったバウムクーヘン♪とにかくバウムクーヘンはじめ、べっとりコッテリ甘いものが大好きなんですが、このバウムクーヘンは、それだけで十分甘いのに、メイプルシロップを掛けるというぜいたくさこんな贅沢覚えて、メイプルシロップがないとバウムクーヘンが食べられへんようになったらどうしよう???

メイプルシロップ付きバウムクーヘン

これに、混んでいて大変だった、京都市美術館の「ボストン美術館展」で買った紅茶を飲んでほっこり。
(「ほっこり」は、「ほ」にアクセントを置いて下さい。最近、ラジオとかで結構このことばが使われるんですが、「ほ」より「こ」が高くなるひとが多くて、なんかイモが炊けたみたいに聞こえます)
ボストン美術館展 紅茶

先日、JR KYOTO ISETANの「モーリス・ユトリロ展」を見に行きました。ユトリロ(1883-1955)は大好きな画家の一人です。日本初公開の作品ばかりとのことで、大いに期待しておりました。

解説は、ネットでたくさん出てきますが、シュザンヌ・ヴァラドンというもともとモデルだった女性画家の私生児として生まれ、自分の美しさを生かして恋に仕事に生きる彼女からあまり愛情を受けられず、その寂しさを紛らすため、何と10代のころからアルコール依存症だったことは有名です。自分を画家だとは思っていなくて、とにかく安酒が欲しいために、酒と引き換えに絵を描くような生活を続けていたそうですが、その割に、亡くなったのが71歳なので、意外に長生きだな、と思います。何回か精神病院に、入院…というより、文字通り「収容される」という状態の時もあったといいます。変な言い方ですが、いつ自殺してもおかしくないのに、そういったことは聞いたことがありません。本当は強いひとなのでしょうか。

印象派が郊外での創作に没頭していた時代、彼はむしろ何気ない街角や建物を中心に描いています。一般によく知られるのは、「白の時代」で、多くの方も、ユトリロと言ってイメージされるのは、白い漆喰の壁、ひとけのない通り、といった寂しい絵だと思います。漆喰の雰囲気を出すために、漆喰そのものや、卵の殻、ハトのフンまでも絵の具に混ぜたというのも有名な話です。
しかし、今回の展覧会は、「色彩の時代」等、他の時代の絵もかなり多く取り上げられ、今まで持っていたユトリロ観が変わりました。

白の時代の絵は、見れば何となくユトリロだろうな、と分かるのですが、色彩の時代だと、言われなければ印象派の誰かかな?と思ってしまいそうです。

ユトリロ目録

でも人物を描くと↑…何だかバランスが悪く、描き慣れていないようにさえ見えるのは私だけでしょうか。この歩いているひとたち、背が高すぎて、通り沿いの家に入れない…。一般に彼の絵は、建物の遠近感はよく出ていて、近いところから遠いところへ、自然と視線をいざなってくれるのですが。
そもそも、ユトリロの絵でひとが出てくる、ということ自体、意外でした。決してひとを書かないと思っていました。サイズがどうとか、そういう風に見る絵ではない、と言えばそうかもしれませんが、ひとと関わりたくてもうまく関われないという葛藤のようにも見えます。

ユトリロ目録表紙

展覧会に行くと、ついミュージアムショップで要らないものを買うクセが…。目録買わないと、展覧会に行った気にならないこの性分、何とかしないと…。後でゆっくり見よう、と思うのですが、そういう時が訪れた試しがない(^_^;)

ユトリロ展出口

ところで、皆さんは美術館、博物館、或いは百貨店の美術展などに、行くとしたら何時頃に行かれますか?

私は、展覧会の規模にもよりますが、大体、閉館と同時に会場を後にできるよう、1-2時間くらい前に会場に入るようにしています。閉館30分前になると、新たな入場ができなくなるため、そこからが私の本番!元来た道を入口まで戻って、誰も入ってこなくなった会場を、特に気に入った作品や混んでいてゆっくり見られなかった作品を重点的に見ます。これが至福の時

大丸などの場合「トワイライトサービス」と言って、18時以降の入場は料金が半額になるのも魅力
それでいながら、時には会場がほとんど自分1人の貸切で、あたかも画家と対話するような気分で、仕事帰りにゆったりした時間を過ごせます。

ユトリロ展は明日まで開催、まだ間に合います。