青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
市役所前 しやくしょまえ
所在地:大津市御陵町
開設年月日:不明
付近:大津市役所 大津市消防局 滋賀銀行市役所出張所 大津市役所内郵便局 滋賀県立大津商業高等学校 皇子山陸上競技場 滋賀県警察学校 滋賀県警察本部機動隊庁舎 (現在ないもの)財務省近畿財務局大津財務事務所
キロ程:別所から0.3キロ

 


京阪バスに2か所ある「市役所前」バス停の1つです。(もう1つは高槻の「市役所前」)
公式サイトでも区別するため、大津市、高槻市の記載があります。

↓南向き全景。右に見えるのが市役所本庁舎です。

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↓北向き全景

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↓南行きのバス停と、背景の大津市役所

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↓待合所は立派ですが、バスは本当に情けない本数しか来ません。

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いつか、ここにしかない資料を見に来た帰り、大津駅に行こうとして、ちょうど良い時間のバスはないし、そう言えばどう行ったものだろう、とハタと困ってしまったことを思い出しました。大津駅に行くのも大変なら、県庁も面倒です。大津市は、いいか悪いかはともかく支所がよく発達していて数が多く、よほどのことでないと市役所までわざわざ出向く必要がない、というのも、交通の便が不便なまま放っておかれている原因の1つかもしれないとさえ思われます。

「大津市地域公共交通活性化協議会」で、「本市の公共交通の活性化及び再生を総合的かつ一体的に推進する」なんて謳(うた)うなら、職員みんな公用車を使わずに、県庁や大津駅、或いは市民病院などの出先機関に行ってみたらいいのです。そうしたらいかに自分たちの施策の行き着いたところがおかしいか分かります。

↓南行きのバス停を、南側から眺めています。右に見える建物は京阪別所駅です。

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↓何なら、「京阪別所」などという停留所名でもおかしくない位置です。

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いや、逆に駅が「(大津)市役所前駅」でもよかったのでしょう。1967(昭和42)年の大津市役所の移転に合わせてわざわざ、現在の別所バス停近くの旧位置から移転してきました。実際には移転のタイミングぴったりではなく、6か月ほどずれて、9月の移転になったようです。

と、こんなことを書いていたら、平成30年春をめどに「大津市役所前」に駅名が変更されることが最近発表されました。

↓こちらは北行きのバス停

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かつて、市役所の北側は「市民広場」だったようですが、現在は消防局があります。

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但し、1993(平成5)年までは、どうも大津商業高校の北東の隅に今もある階段の前、この消火栓の辺りに北行きのバス停があったようです。

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↓大津市役所のデザイン、昭和40年代の建築としては新しいものだと思われませんでしょうか?

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大石や田上はもちろん、南郷さえ現在のような宅地開発が始まる前で恐らく茅葺屋根すら珍しくなく、石山団地だって開発され始めたばかり、というような時代に、この建物があるのだと考えてみて下さい。たまに「町に出る」農村部の市民は、息を呑んで、どこから入ったらいいのかと気おくれしてしまうような、何十年も時代を先取りした庁舎だと言えましょう。

実はこの建物は、重要文化財である早稲田大学大隈講堂(1926 昭和元年)を皮切りに、全国各地の役所や市民・県民会館を多数設計し、特に建築と音響の関係を科学的に研究した建築の大家中の大家ともいえる佐藤武夫(1899-1972)のデザインなのです。

佐藤の個人設計事務所の流れをくむ、佐藤武夫総合計画によると、佐藤は、

天智天皇の水時計の故事があるところなので、ぜひ時計塔を作って欲しいという要望がありました。それで水時計をデザインのテーマにした塔を建てました。上に行くほど幾何級数的にだんだん節を長くする、竹の節みたいに。そうするとこう空へスーッと伸びていくような勢いが出てくるんですね。建物全体も土地柄を謳うようなものを心がけました。



と語っているそうです。

しかし、残念ながら1978(昭和53)年6月12日の「宮城県沖地震」を機に新たに定められた1981(昭和56)年の耐震基準(現行の耐震基準)を満たしていないため、更に北の財務省大津財務事務所跡地に移転することが決定しています。

次は、山上町です。
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コメント
この記事へのコメント
象ケ鼻の件ですが、
70年代に入って新藤尾小学校が建築されて削られなくなりました。
2017/03/10(金) 10:27:12 | 滋賀の影丸 | #-[ 編集]
緑ヶ丘球場について
緑ヶ丘球場は田んぼにつくられ
戦争中は半分畑に、
戦後はGHQが介入、
占領後は自動車教習所、
その後、東半分を国鉄官舎、西半分は住宅、
国鉄官舎が撤去されグランドになりました。

2017/03/10(金) 10:32:47 | 滋賀の影丸 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
滋賀の影丸様、コメント頂いておりましたのに、お返事が遅くなりました。
確かに自動車学校があったようですね。今、古い住宅地図を見ようと思ったのですが、こないだまで使っていた資料なのにひとまとめにしたファイルの中になくて…。国鉄官舎とかは印象にないので、また調べてみます。
2017/03/11(土) 21:42:12 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re: タイトルなし
滋賀の影丸さま、ありがとうございます。
象ケ鼻は藤尾小学校の裏手に見える山のことではないということでしょうか。緑ヶ丘のGHQのことにしてもそうですが、何かそういうことが分かる資料があると嬉しいですね。
2017/03/11(土) 22:05:04 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re: タイトルなし
藤尾付近の古い住宅地図を発見しましたので、追伸致します。
自動車教習所については1971(昭和46)年の「大津市住宅案内図」(弘報社)に、「京滋自動車教習所」という記載があります。
しかし、もっとGHQ占領直後の時代に近い1957(昭和32)年の「京都市全住宅案内図帳 東山区東部」(住宅協会)において、その部分は「耕地」とされています。その後の時代も、私の手元にある資料を見る限り、自動車教習所の記載はなく、ネットで検索してもほとんどそれに該当するような教習所はなく、全くの謎です。どこかの教習所に引き継がれているのかも分かりません。

東半分が国鉄官舎とのことですが、特にそうした記載はなく戸建てが20件前後並んでいますが、それが国鉄官舎かもしれません。
2017/03/12(日) 09:58:37 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
象ケ鼻とは、南から見てバイパス右の山から藤尾小学校の西端まで(坂の下、奥町に続く道まで)の丘のことです。
追分の三井寺領地近くから続く山が体で、象が寝そべり鼻が伸びているように見えるから象ケ鼻と呼ばれていました。これは1970年以前の航空写真で確認できます。
国鉄官舎は現在のグランドに南側から入る道から日新ハウスへ入る道までの間の土地全部に、東西に横長の家が、南北に一列に建築されていましたが1980年代に入って撤去され、それと同時に2面のテニスコートとなりました。
2017/03/12(日) 12:56:17 | 滋賀の影丸 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
滋賀の影丸様、補足して下さってありがとうございます。私も航空写真を見てみようと思います。
国鉄官舎については、住宅地図に描かれている戸建ての集合がそれなのでしょうね。JRの用地に引き継がれなかったのですね。
2017/03/13(月) 22:10:50 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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