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青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今年は比叡山ドライブウェイ、及び京阪バス京都比叡山線、大津比叡山線の開通から60周年の節目です。これに合わせて、4月19日から特集をお届けする予定をしておりますが、そのプレ特集として、1958(昭和33)年3月17日の滋賀日日新聞に掲載された記事をご紹介します。

S33.3.17S 比叡山DWバス路線競願b

記事中の「京都観光」というのが今のどこの会社に当たるのか不明です。観光バスかと思って読んでいると、路線の話の中に出てきます。
路線バスの運行期間は3月15日から11月15日とされており、冬期運休とされた数年前からの現在の形の方が、結局この当時の想定と近いことになります。

この当時の他の紅葉関係の記事でもあら?と思うことがあるのですが、やはりこの時代は今より紅葉が早いのか、11月15日までしか運転を予定していません。現在は年によっても違いますが、今年の場合は12月2日ということになっています。実際には勤労感謝の日を過ぎるともう比叡山は紅葉がかなり散ってしまっていると思いますが、もしこの当時の11月15日がそれと同じような状況なのだとしたら、半月ほどずれていることになります。

↓一方こちらはちょうどぴったり60年前の今日、1958(昭和33)年4月6日付産経新聞滋賀版。

S33.4.6Sa 比叡山DW バス路線争奪戦b

「近江鉄道は社内の事情で取消した」とあります。この当時はなかった言い回しでしょうけれども、今風に言うと「大人の事情」というやつでしょうか。
最初は近江鉄道バスも免許を申請していたのですが、これ以来近江鉄道バスは比叡山とは全く無縁で、もちろん団体の貸切とかは走ったことがあるかもしれませんが、ずっとスルー状態です。

私は結構古いパンフレット類を集めているのですが、文中にある「琵琶湖汽船とタイアップしたパンフレット」というのはどれのことなのかよく分かりませんでした。というか、持っていないのだろうと思います。その代わりこんなのは見つけました↓

CCI20180405_00003.jpg

開通から5年ほどたった頃の、定期観光バスの案内です。思えば琵琶湖ホテルも、比叡山国際観光ホテルも遊覧船も、そしてドライブウェイも、全部京阪系。

一番下の帯に書かれた「Eコース」が比叡山を含むコースなのですが、1980(昭和55)年の段階でも比叡山はやはり「Eコース」とされています↓

CCI20180405_00005.jpg

東塔落慶法要、とありますが、「法華総持院東塔」のことだと思われます。

↓この時点でも今よりだいぶ多くのバスが走っていたらしいことが分かります。

CCI20180405_00004.jpg

↓最後に連絡乗車券の見本ですが、これはどうやらドライブウェイ開通前のもののようです。

CCI20180405_00000.jpg

比叡山に行くのは叡山電鉄とロープウェイで、比叡山から下りるのは坂本へのケーブルカーだということは分かりますが、比叡山頂(四明ヶ嶽)とケーブル延暦寺(中堂)の間に何もないところを見ると、ドライブウェイ開通前はみんな歩いていたのだなということが分かります。

開通によって比叡山の歴史まで塗り替わったと考えられるドライブウェイと、京都比叡山線・大津比叡山線の特集は4月19日からスタートする予定ですので、ご興味がおありの方は宜しくお願い致します。
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コメント
この記事へのコメント
お久しぶりですN市民です。
比叡山の連絡乗車券ですが、なかなか興味深いものですね。
まず、発着駅が阪急梅田・天神橋発着ということ。ということは・・・。
券面の京都駅は今の大宮駅ですね。
(河原町延伸まで阪急京都駅でした。)
また、石山寺が石山螢谷駅だったのは
1950年から3年ほどでした。
結構貴重な切符ですね。
2018/04/17(火) 18:01:29 | N市民 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
N市民様、大先輩(?)の久しぶりのコメントに恐縮です。

> 比叡山の連絡乗車券ですが、なかなか興味深いものですね。
> まず、発着駅が阪急梅田・天神橋発着ということ。ということは・・・。
> 券面の京都駅は今の大宮駅ですね。

そう言えば「京阪神急行」と書かれているので、戦時の京阪と阪急の合併のときの名残ですね。

> また、石山寺が石山螢谷駅だったのは
> 1950年から3年ほどでした。

さすが、目の付け所が違う!
でもよく考えると、1950(昭和25)年というのは「京阪神急行」がなくなった直後なんですよね。「京阪神急行」が存在したのはこの前年までの約6年間なので。
結局本当のところは、いつの時代に使われたのかよく分からないですね。まあ、この時代のことなので、良くも悪くもおおらかで、また物資も乏しいから間違いに気づいても簡単に新しくするようなこともできなかったのかなという気がしますね。
2018/04/17(火) 20:26:09 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
いや実は阪急は昭和47年に阪急電鉄に社名変更するまでは「京阪神急行電鉄」でした。戦時中に京阪と合併するまでは「阪神急行電鉄」でしたが、京阪との分離後も京都線が残ったため、社名上は「京阪神急行電鉄」になっていました。
とはいっても基本的には「阪急」を使っていましたが・・・。
2018/04/23(月) 14:40:25 | N市民 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
> いや実は阪急は昭和47年に阪急電鉄に社名変更するまでは「京阪神急行電鉄」でした。

N市民様、解説ありがとうございます。本当ですね、今調べてびっくりしました。なので、やはり石山螢谷駅が存在した3年間に作成されたと考えるのが自然なのでしょうね。
2018/04/24(火) 22:32:21 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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