青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
皇子が丘公園を出ると、左手にちらっと琵琶湖が見え、これがなかなかきれいです。

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その後トンネルを2つくぐると、藤尾奥町です。

藤尾奥町 ふじおおくまち
所在地:大津市藤尾奥町
開設年月日:不明
付近:西大津バイパス藤尾奥町ランプ 藤尾奥町自治会館
キロ程:皇子が丘公園から3.3キロ


このバス停については、2010(平成22)年8月22日付拙稿藤尾奥町 ちょっと大変なバス停にも書きましたので、宜しければご覧下さい。

83年版までの住宅地図には記載がなく、84年から現れます。逆に言うと、83年から84年にかけて開通したのだということなのでしょう。



○○上町とか、○○西町とかなら全国各地にあると思いますが、「奥町」というのはあまりないと思います。少なくとも上中下、東西南北ほどの頻度はないのではないでしょうか。

また意外ですが、藤尾奥町以外に大津市内で「藤尾」が入った行政上の地名は存在しません。

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[藤尾奥町【西大津バイパス線3】]の続きを読む
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運動会のシーズンです。
職場や地域の運動会もありますが、一般にイメージされやすいのは圧倒的に学校の運動会でしょう。最近、秋に行事が集中し過ぎる、熱中症を防止するといった事情で、春に運動会が行われるケースがしばしばあるようです。また、北海道など、秋が早くから寒くなってしまう地域や、稲刈りなどの農作業で親が忙しい地域は、もともと春に運動会が行われるのが普通なのだそうです。しかし、俳句においても「運動会」が秋の季語とされているように、今でも関東以西の多くの地域の日本人にとっては、やはり秋の行事という印象なのではないかと思います。

↓大阪環状線 福島駅から見えた運動会の準備が整ったグランド。あとで大阪市立上福島小学校だと分かりました。これも秋の光景です。

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「運動会」は日本や、日本が戦時中に占領していたことで影響を受けた韓国や台湾などに特有のもので、世界的にはあまりない行事のようです。地方に行けば行くほど、時代が古くなればなるほど、地域全体のイベントという色合いが濃くなり、気が付いたら大人の方が夢中、なんていうことも…。

しかし、臨時バスまで出すという話は聞いたことがありませんでした。

↓ちょうど65年前の今日、1952(昭和27)年10月14日付京都新聞山城版より
[中学校の運動会に臨時バス?~移転前の最後の運動会]の続きを読む
皇子ヶ丘公園 おうじがおかこうえん
所在地:大津市皇子が丘一丁目
開設年月日:1984(昭和59)~1985(昭和60)年?
付近:西大津バイパス皇子が丘ランプ 皇子ヶ丘公園 大津市立皇子が丘保育園 関西電力皇子山変電所 大津市営大津第一住宅 皇子が丘集会所 早尾神社 大津陸軍墓地 (以下現存せず)大津市交通公園 滋賀勤労者いこいの村びわこ 大津ユースホステルセンター
キロ程:大津京駅から0.8キロ




西大津バイパス線自体は1982(昭和57)年の段階では開通していたことが確かですが、1982,83,84年版のゼンリン編「ゼンリンの住宅地図 大津市」には記載がなく、1985年版から現れることから、あとで設置されたバス停なのだろうと思われます。

もともとは旧日本陸軍の射撃場で、その後は旧アメリカ駐留軍駐屯地でした(大津市教育委員会博物館建設室『大津の名勝』P68 1989)。

曽て付近にあったユースホステルセンターはマンションに生まれ変わり、大津市交通公園も閉鎖され、変化が激しい場所です。ただ、バス停は設置当時からこの位置で変わっていないようです。

大津フリークルット↓は、なぜかこのバス停までが使用可能範囲とされていました。

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今の目で見れば大津京駅からの1バス停間だけですが、当時はびわこホテル発着も多く、こうしたユースホステルや皇子が丘公園の需要もあると考えられたのでしょう。また、大津市内特殊区間制区間がここまでで、大津北地区とされていたということもあるでしょう。

2011(平成23)年3月1日から大津北地区は四ノ宮まで延長されています。ついこないだだと思っていたのに延長からもう6年も経っているというのが私にとっては信じがたい話です。

↓大津京駅からJRのガードと県道浜大津伊香立線をくぐると一気に急勾配を登ります。
[皇子ヶ丘公園【西大津バイパス線2】]の続きを読む
注目度が高かった藤尾・小金塚系統は、開通前の2年間だけでも各紙で約10回取り上げられていますが、西大津バイパス線の記事は全くなく、社史でも結局いつ開通したのかという基本的なことが分かりません。(2010(平成22)年8月24日付拙稿すったもんだの藤尾・小金塚 京阪バス路線開通①もご覧下さい)

(京阪バス社内で同系統は、京津国道線が存在していた平成初期までは京津国道線の一部として扱われていましたが、ここでは分かりやすいように敢えて西大津バイパス線としています)

1982(昭和57)年4月7日のサンケイ新聞「滋賀ニュース」によると、大阪地方陸上交通審議会滋賀県部会が、
「大津市藤尾地区から皇子山地区までの中学生のバス輸送の利便性を確保するため、西大津バイパスを経由するバス路線の新設」
を検討しているとのことですから、この時点ではまだ西大津バイパス線はなかったということになります。住宅地図を見ても、バイパス途中のバス停が現れた年度から考えて、1984(昭和59)年前後と見るのが妥当なようです。
また、この記事から、同路線が藤尾学区から皇子山中学校に進学する中学生の輸送が主な目的ということも分かります。

この10月1日のダイヤ改正で、西大津バイパス線が1年に1回、10月1日だけの運転となりました。

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奈良交通の大川原-向島駅間は相変わらず月1回の運転が続いているようですが、そんなのかわいらしいものです。
京都バスは有名な大原-鞍馬間などいくつか『春分の日』のみ運行のバスがあり、物好きで大混雑します。最近はこれに平行する毎日運航の路線ができたものの、それでもまだ高野車庫→大原などの春分の日のみ運行のバスがあります。

ただ、平日が休みにくい人間にとっては西大津バイパス線の方が日付が固定されている分難易度が高いです。
[大津京駅 【西大津バイパス線1】]の続きを読む
1957(昭和32)年8月28日、60年前の朝日新聞に、近江鉄道バスの八日市-浜大津間の路線の開通が報じられています↓

S32.8.28A 八日市‐浜大津バス開通b

ルートは八日市から浜大津まで行くと考えた時、ごく一般的なルートだと思います。八日市を出て、八風街道を走って、六枚橋、篠原…野洲や守山は、国道から離れてわざわざ駅前に行っていたのが京阪バスとの大きな違いでしょうか。そこはさすがに自社エリアなので免許もしっかりとあり、融通が利きますね。

9月5日開通、と書かれていますが、しかし、丸1カ月後の9月28日付京都新聞では、10月1日から運行開始としています↓
[1957(昭和32)年10月1日 近江バス八日市大津線開通]の続きを読む
山科4回目です。

↓京22か1082 A-1286 1974(昭和49)年式MR470

京22か1082①

21号経路 外環状線経由の山六線です。

↓同じ車両です。
[京阪バス《山科》現在完了進行形④]の続きを読む
山科3回目です。

↓京22か788 A-1260 1973(昭和48)年式MR470 

京22か788

旧25号経路西野山団地方面行きです。

↓京22か899 C-1271 1974(昭和49)年式MR470

[京阪バス《山科》現在完了進行形③]の続きを読む
引き続き山科です。

↓京22か569 A-1221 1972(昭和47)年式MR470

京22か569②

山科駅を出発します。

京22か569①

↓前面幕を拡大しました。
[京阪バス《山科》現在完了進行形②]の続きを読む
バスまつりが中止という前代未聞の事態ですね。私がこの記事を書いている17日朝の大津市内は、文字通り「嵐の前の静けさ」で、不気味なくらい静まり返っていますが、きっと午後になると帰る足もなくなってしまうでしょうし、残念ですが仕方ありません。

今年は京阪バスは廃品の出品はないという予定でしたから、それが分かった時点でちょっとテンションが下がったんですけれどもね。

ということで、本来ならバスまつりに行っていたはずの時間帯で写真を整理。

大津の写真もまだ少し残っているのですが、未整理のものが多く、手を付けかけたところで混乱しだしたので、諦めて先に山科に進みます。

※T.F.様が撮影された1975(昭和50)年前後は、現在の山科営業所を「京都営業所」と呼んでいましたが、特に必要がない限りここでは「山科(営業所)」という表記で統一します。

なるべく年式の古い方から順番に取り上げますが、編集の都合で順序通りにならないことがあります。ご了承下さい。

↓京2い1396 旧社番1129 1965(昭和40)年式BXD30

京2い1396

山科営業所内と思われます。
年式の割に登録番号(ナンバープレート)の数字が大きいのは、どこかからもらわれてきた車だからでしょうか。そこまでは私もよく分かりません。正面は回送ですが、側面は判読不能ながら、起終点と経由地が書かれているのだと思います。もちろん、電動ではなかったのでしょう。

↓京2い1313 旧社番2391 A-1126 1967(昭和42)年式MR470 
[京阪バス《山科》現在完了進行形①]の続きを読む
引き続き、大津管内の古写真です。

↓T.F.様の写真の中では数少ないカラー写真。1975(昭和50)年3月2日撮影  社番1152 滋2い886 昭和40年式BXD30 

滋2か886 50-3-2浜大津

後ろで工事中なのは、現在のNTT西日本滋賀支店、当時の電電公社滋賀支店です。「幸福相互銀行」も見えます。名前は聞いたことがある気がするのですが、今どうなっているのか調べたら、2001(平成13)年に関西さわやか銀行に事業が譲渡され、その後関西銀行を経て現在は関西アーバン銀行につながるようです。ただ、浜大津に跡を継ぐ店舗はありません。

家具の「イマホリ」は確か唐橋前の国分方面のバス停の辺りにあった気がするのですが、今はその流れを汲んでいるのか全く別のものか分かりませんが、やはり家具屋さんがあります。

↓同じ車両の反対の側の面。
[京阪バス《大津》現在完了進行形②]の続きを読む